ふと「方便」という
言葉について
思いを巡らせてみました
「方便」は
"うそも方便"
という代表的な使われ方があります
自分の中で
わかってそうで
人には説明できる程理解してない
「方便」について
少し調べてみました
辞書では
「方便」
1 仏語。人を真実の教えに導くため、
仮にとる便宜的な手段。
2 ある目的を達するための便宜上の手段。
「うそも方便」
3 (多く「御方便」の形で)都合のよいさま。
とあります
ここで思ったのは
「方便」を
自分本位で使うのか
相手本位で使うのかで
全く別物になるということです
2の意味にある
目的というのが
自分勝手なものであれば
その為に使う方便は
良い結果を生まないと考えます
逆に
相手への思いが根底にある
目的の成就の為に
使う方便は
前者とは
違う結果を生み出すと思います
そもそも
「方便」は
仏教において
聞き手の能力に応じて
説かれた教えのこと
とも書かれています
"相手を正しき道に導くため"
との真心を込めた方便を
有効に活用していきたいです