悪夢のような東日本大震災から2か月が経過した。
やっとブログを書く余裕が出てきたので、震災後1か月の我が家の状況を記録として残すことにした。

 

3月11日午後2時46分:那珂市の病院で外来中に地震発生。次第に揺れが大きくなり、これはただ事ではないと病院駐車場に避難。コンクリートの地面が波打っており、遠くでは何かが燃え上がって黒煙が上がっている。隣接する老人保健施設の給水槽からは水が漏れだし施設中水浸しとなる。入所者を駐車場に避難させる。そのほとんどが自分で移動できない高齢者の方で、駐車場は車椅子でいっぱいになった。水道、電気が使用できないことが判明。車のラジオで宮城県沖を震源とする巨大地震が発生したことを知る。携帯電話はまったくつながらず家族の安否は不明。夕方になり冷え込んで切ったので入所者を安全と思われる病院1階のロビーに運び込み、一段落したところで帰宅することにした。携帯電話が妻にやっと通じ、子供の迎え中に地震が来たが、家族全員無事と聞いて安心する。常磐自動車道は不通のため、一般道を南下。那珂川にかかる橋が大渋滞で大きく北へ迂回して川を越えた。途中、信号も民家もすべて真っ暗でところどころ塀が倒壊。ラジオからは震源地付近のただならぬ状況が伝えられていた。4時間半かけてつくば市へ。隣の土浦までは真っ暗闇であったが、つくば市だけはなぜか電気がついていた。自宅は4階にあるが、家具は地震対策のおかげでほとんど損傷なし。水道は給水槽からのくみ上げ機械が故障しており、トイレの水も流せない。1階の散水用の蛇口からは水が出せたため、クーラーボックスに入れておく。テレビからは映画のような津波と火災の映像がひっきりなしに流れていた。福島県須賀川の妻の実家、宮城県の親戚も皆無事であった。ここは本当に日本なのだろうか。その日は余震におびえながら眠りについた。

 

 

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https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/ee/98/hideputin/folder/1023376/img_1023376_44936260_1?1305421704
当日当直に行くはずだった病院の院長先生から送っていただいたその日の写真。津波で冠水している。

 

 

3月12日:マンションの管理人さんが水を入れるプラスチックバックを配給してくれた。4つのバックに1階の水道で水を入れる。ガソリンスタンドとスーパーには長蛇の列になっていた。昼に病院に行くと、建物の損壊はほとんどなく、エレベーターが1機しか動かない以外は電源、水道(地下水くみ上げ)とも使用可能で、人的被害もなく安心した。昨夜の夕食は職員がリレーのようにして運んだという。自分のオフィスは物が散乱して足の踏み場もない状態。幸いハードディスクなどは無事であったが、研究室の冷凍庫の電源が切れており、研究用材料がダメになったかもしれない。2時から職員の緊急会議が開かれた。当院は災害拠点病院ではないが、帰せる患者はなるべく帰し、県北や福島県からの患者の受け入れ態勢をとることになった。緊急以外の手術や検査はすべて中止。午後3時過ぎ福島第一原子力発電所の1号機が突如水素爆発。正門付近の放射線量が1mSV/hと上昇し放射能漏れが確認され、半径20キロ圏内の住民に避難指示がでる。枝野官房長官による会見で政府は「直ちに健康被害はない」と発表。原発から150キロ離れているとはいうものの小さい子供がいる親としては気が気でない。余震が数時間おきに来る。