「私の60代の母親は、95年3月20日に起きた地下鉄サリン事件の被害者です。サリンを吸い込み、築地にある聖路加国際病院に搬送され入院しました。神経が麻痺して手足に痺れが出ていました。意識がなかったこともありますし、寝たきりになったこともあります。現在は仕事に復帰して元気なのですが、真理的に後遺症が残っている状態です。
その当時、私は民族運動を標榜した政治結社に参加し、オウム真理教に街宣活動をかけていました。他の団体とも連動して、サリン事件前から上九一色村の施設や富士山総本部に乗り込んでいたんです」
30代の男性H氏が胡座をかいて本誌の取材に応じているのは、世田谷区南烏山にある「ひかりの輪」本部である。
ひかりの輪とは、オウム真理教で外報部長を務めた上祐史浩代表(掲載当時46)が、07年5月に王蟲の光景団体アレフから独立し、設立した新教団である。オウム=麻原彰晃信仰と決別し、身寄りのない信者の救済や、オウム被害者たちの弁済などの目的で設立したとされ、教団も上祐代表も「麻原からは脱却した」と語る。
だが、公安調査庁はそうは見ていない。
設立当時、ひかりの輪の出家信者の全員がオウムの元出家信者だったことに加え、教団の目的が麻原が提唱する「衆生救済」を受け継いだものであり、上祐代表が行う説法や教材などにも麻原の説く教義が内抱されているとして、今も同庁の観察処分の対象団体としている。
「上祐を殺す」
H氏は、ひかりの輪の出家信者でもなく在家の会員でもないが、上祐代表の説法をたびたび聞いたり、集会に参加するシンパなのだという。それにしてもなぜ、実の母親を苦しめたオウムと関連する団体に”入信”したのか。
H氏の真意とともに、その経緯を巡ろう。
「サリン事件の直後は、とにかくオウムの人間を殺したい、の一言でした。麻原よりは、その時に浮かんだのは上祐代表でした・母が事件に遭って、犯人が後にオウム真理教だと分かった当時、メディアに出ていたのは上祐代表でした。これが敵だと。〈上祐代表が〉弁が立つことも、当時は気に食わなかったんです。
その頃の私は、上祐代表を殺そうと連日、港区南青山のオウム本部前に詰めていました。気配を消して、いかにもオタクのような感じでジッと様子をうかがっていたんです。
暴力団の実質的組員だった徐裕行が4月23日の夜に本部前で幹部の村井秀夫氏を刺殺した時も、私は1mと離れていない距離にいました。マスコミが殺到するその間から見ていたんです。刺殺までの1週間で2〜3回、徐を現場で見ています。
自分は南青山には長時間いたのですが、徐はちょこちょこ様子を見に来るという感じでした」
徐裕行は公判の中で4月20日に殺害を命令され、21日夜に下見したと証言している。22日午前中に殺害しようと現場に行ったがマスコミが多いため断念。翌23日の午前中も本部前に行ったが殺害を見送り、同日夜8時過ぎ、決行した。
徐とは年齢が近いし、お互いにまともな人間にはないオーラが出ていましたから気になっていました。見かければ「オッ」と挨拶程度は交わしていましたが、会話はしていません。徐は村井氏だけを狙っていたと思います」
サリン事件が元で、H氏と母親の生活は荒んだ。H氏は一般企業で働きながら、警察沙汰にはならなかったが「随分悪さをしました」という。そして05年には刑事事件を起こし、刑務所に3年あまり収監された。
「昨年末に出所しました。逮捕された当初はこれで人生終わりとひねくれていました。そんな時に母親が自殺未遂を起こしまして…首を吊ったのですが、縄が切れて助かりました。私が逮捕されて精神状態がおかしくなったんですね。それで目が覚めました」
H氏は収監歴が壁になり今も職は見つからない。母親が働き生計を支えている。
「私と母がようやく精神的に落ち着けたのは今年に入ってからでした。それまで私はオウムがいなかったら、オウムが事件を起こさなかったら、逮捕されるような荒んだ生活をしなくてすんだのにと恨み続けていたんです。でももう恨むのはやめようと最初に言ったのは母でした。自分の責任で前科を負ったのに、王蟲を恨むのは、現実を受け止めたくない”逃げ”だと騙されたわけです。私はその言葉をじっくり考えました。そしてかつての天敵だった上祐代表はどうなのか…そんな思いに至ったのです。ひかりの輪は、贖罪のために被害者に弁済しようとしている。さらに根本的な原因となった麻原から脱却しようとしているという。犯罪者の更生という意味で自分と通じるかもしれないと思ったのです」
H氏は服役中から、ひかりの輪が発足したことは知っていたが、オウムと同じではないかと疑問視していたという。だが苦悶の末に、インターネットで上祐代表にコンタクトを取った。その時に送ったメッセージは「出直すことは悪いことではありません、自分も今出直し人生を歩んでいます」というものだった。そして今年5月、H氏が住む千葉県にある、ひかりの輪千葉支部を訪ねたという。
「最初は何も知らない振りをして潜入しました。どう変わったのか、本当は麻原から脱却していないんじゃないかという疑念もありました。これはオウムじゃないと確信したのは、お布施の儀式でした。オウムのように全員が矯正されて多額のお布施をしているわけではなかったからです。20〜30人の信者がいた中でお布施をしていたのは3人だけでした。これを見て、自分たちの意思でやっているんだと思いました。さらに、オウムが麻原を神格化したことを反省して、上祐代表が「自分を神格化させることは決してない」と言ったのを直接聞いて、確信したのです」
H氏は麻原が起こしたサリン事件に巻き込まれたことで、被害者として麻原に囚われた。一方、上祐代表は帰依する存在として囚われていた。麻原との関係は異なっていたが、麻原から脱却するという目的は一致していた。
麻原への帰依が純化…
こうしてH氏はひかりの輪に”入信”した。H氏は上祐代表を「ともに生まれ変わる」というシンパシーを感じている」と話すが、麻原については許すことができないと言う。
「早く刑を執行してほしい。死刑は母のような被害者には何の解決にはならない。報復でしかない。報復によって一時癒されるだけで、ずっと癒されるわけではない。ですが、とにかく命で償ってほしい。それだけです。また、そんな麻原を信仰するアレフの人たちには、生まれ変わる方法があることを知ってもらいたい」
(後日加筆予定)























































