オウム“村井事件”の実行犯が激白 「僕が村井を刺した本当の理由」〈週刊朝日〉
7月6日、麻原の死刑執行によりメディアは再びオウム事件の報道を流した。
週刊朝日は緊急臨時増刊「オウム全記録」(2012年7月15日号)から徐のインタビューを引用し丸ごと掲載した。
内容は、徐が村井を「義憤で殺害した」「今もお話しできないこともある」とインタビューで答えたもので、当時撮影された写真もそのまま流用されている。
この記事に対し、閲覧者からは激しい非難が巻き起こった。
麻原は大の歌好きで有名である。
尊師マーチ、閻魔の数え歌など、オウムを知っている人なら誰でも聞き覚えがあるだとう。
1994年11月、ある女性が演歌歌手としてデビューを果たした。
松本家長女M・K氏は20歳で結婚した後、上京し、主婦業の傍ゴルフショップの事業を手がけていた。
1993年頃から歌を習い始めた彼女はアマチュアコンテストで最優秀歌唱賞を受賞し、
「能登の宿」「未練花」の二曲をCDで発表。
ディナーショーの出演もするなど順風満帆と思った矢先であった。
「弟がサリン事件の犯人!?」
マスコミの取材に困惑したM・K氏。強制捜査が入った後も弟、松本智津夫を信じ続けようとはしたものの、続報が出るにつれ彼女は絶望に包まれていく。
「強制捜査が入ってもしばらくは『絶対やっていない』と思っていましたが…。今は自分で命を立って責任をとるくらいのことをしていれば、まだ尊敬できたかもしれないと思っています。」「最高責任者として速やかに、本当の話をしてほしい。弟は責任をとる立場にあるんです。」
姉の願いは虚しく、智津夫は最期まで事件の真相を語ることはなかった。
M・Kの演歌歌手の夢とその後の人生は弟の手で台無しとなってしまったのである。
おまけ・1995年当時の麻原の実家(現存せず)
熊本県八千代市
実家玄関