
【ポジティブ】
イタリアのオペラ歌手、ルチアーノ・パヴァロッティのことを久しぶりに思い出した。
彼はすでに2007年には天国に召されているのだが、今回とあるきっかけで十数年振りに彼のCDを何度も聞くことになった。2003年に売り出された盤だから、彼の絶頂期のものだ。
「オーソレミーヨ」の楽曲に入ると涙がこぼれた。心を晴々とさせてくれる。とりわけ自らの心身の晴れやかさを保つのに気をつかい、並外れた純粋さとポジティブなエネルギーを持つパヴァロッティは、私の心を充分に蘇らせてくれた。
私とパヴァロッティとの出会いは、いったいいつだったのかは思い出せない。気が付いた時に彼はもう私の中に存在し、人々からは「人類の宝」とも呼ばれていた。
私がパヴァロッティのことを思い出すきっかけとなったのは、11月8日の魁新報の読書欄で紹介されていたエドウィン・ティノコ著「パヴァロッティとぼく」である。
早速購入した。
元ホテルボーイだった「ティノ」がパヴァロッティに見込まれて専属のアシスタントとなったのだが、その彼がマエストロ(大音楽家)のパヴァロッティの最後の日々を綴っている。
実は単純にその表紙の(足の裏を見せている)明るい写真にほれ込んで購入したのだが。
本当のことを言うと、買ったのは良いが、読んだのはほんの数ページ。
「積ん読」の状態であった。
その理由は…確かどこかにある筈のCDを探し出し、彼の「肉声」を聴いてからと思ったから。
それともう一つは、あまりにポジティブな人と接する時は、自分自身もよほどの決意とエネルギーがなければ対峙出来ないと思ったから。そうしてのらりくらりしていた。
ところが、そうこうしている内に実は私に大事件が起きてしまった。
【戸嶋靖昌展でネガティブを受ける】
12月1日、かねてからテレビ・新聞等でも何度も宣伝されていた、秋田県立美術館にて開催中の「戸嶋靖昌(やすまさ)展―縄文の焔と闇」を観覧に行ったのである。
すでに10月24日から開催されているのだから観に行った人も多い筈。
主催は…秋田県・AKTを始め、後援をみると駐日スペイン大使館・武蔵野美術大学・秋田市、秋田の各放送局・各新聞社等、数々の、それもそうそうたる団体や企業名が続く。
私との共通点もある。戸嶋靖昌氏は、私と同じ北秋田市の出身。坊沢の旧家出身だ。
私の高校時代の旧友(秋田市在住)もすでに一度展覧会を見て気に入り、一週間ほど前に行われたギャラリートークにも予約までして参加して来たとのこと。
彼は、戸嶋靖昌の絵画を前にして酒を飲みたい(一献傾けたい)というくらい気に入ったらしい。
自分もその旧友には「必ず見に行くから」と約束もしてしまっていた。
まずはAKTで放映された「ふるさと秋田再発見シリーズ 秋田人物伝―戸嶋靖昌―」を録画しておいたものを視聴し、心の準備をした。
なぜ「心の準備」が必要かというと、あまりにもネガティブなものを見る時は、ポジティブな人と接する時とは別の意味での「心のバリヤー」が必要だからである。
戸嶋靖昌は、1970年の三島由紀夫の自決事件が彼自身の人生における大衝撃となり、やがて地位や名声を得る道を捨て、純粋に芸術を追求する決意をした。
要するに「売れる絵描きとしての道を捨てた」ということ。さらに端的にいうと、絵画による収入の道を自ら断ったのである。
これは私に言わせれば「絵描きの自殺」に等しい。
1974年スペインに行けたのは妻の仕送りがあったから…
20年以上に及ぶスペインでの生活の終わりは、やがて妻の死によって仕送りが途絶えたことによると言う。
絵を売ることを知らない。
妻の仕送りだけで長い年月外国で暮らしていた。
これを単純に「人」として見るならば「穀潰し」である。
これ以上の人間としてのネガティブなど他にあるだろうか。自分だったら絶対に受け入れられない。
それもポジティブな感覚によって、人の心を明るくするような作品を遺したのならば価値もあろうというものなのだが、彼の内面と、その結果としての作品は「焔」であり「闇」なのだ。
それも誇らしく「未完」を謳う。
いや未完を謳ったのは、最晩年に知り合った「執行草舟(しぎょうそうしゅう)」という実業家の言い分である。
穀潰しの画家に心許させ、遺した(売っていない・売れない)「絵」を自分の手元に蓄え、戸嶋靖昌の最晩年の死の瀬戸際まで自らの肖像画まで描かせ、パトロンとなり、「これが芸術だ」と称揚し、大学教授まで使い絶賛させる。
「これが商売さ」と言われればそれまでなのだが、私に言わせれば悪徳商法。地面にある岩石を持ち上げ「これには何万年もの歴史があり霊力があるから」と高額な値段で売りつける霊能商法とどこが違うというのだろうか。
百歩譲って、武蔵野芸術大学を出ているからと言っても、私からすればおこがましい。
縄文という言葉さえ、今になって秋田の「北海道・北東北の縄文遺跡群」にあやかったものである。戸嶋靖昌氏が「縄文」を意識して「絵」にしていたということは執行草舟氏の作り話とも言える。
戸嶋靖昌氏の言葉として証言出来る人間は他にいないのだ。
執行草舟の肖像画こそおぞましい!
いや無意識だったにしろあんな溶岩が地中で固まったような絵が縄文と何の関係があるというのだろうか。
縄文の遺跡、特に花輪の環状列石や伊勢堂岱遺跡が「未完成である」と言ったのは、日本の考古学者小林達雄氏である。
その受け売りや、あやかりなどはやめて欲しい。ましてパンフレットなどで執行草舟氏がゴッホとの対比を何度も言葉にする自体おかしいではないか。
県立美術館の展示回廊のなか私は酷く彷徨った。
私の心は…地獄か、深く湿った地下洞窟の闇の中にいて、一条の「光り」を探すかのように。腐乱した死体がそのまま溶岩と一体化し、死臭さえ漂う。
私はそのグロテスクに打ちのめされていた。
その闇の中で私がずっと思っていたのは、子供の頃に父さんと母さんに連れて行ってもらった八森の「岩舘海岸」。
同じ棘々しい溶岩の塊であっても、そこには美しい海があり、青い空があり、その青い空には白い雲がぽっかりと浮かんでいた。
岩場にはヤドカリや、水中には見たこともない魚たちやイソギンチャクがいた。そう「生命」が満ち満ちて輝き溢れていたのである。
そんなことでも思い出さないと、吐き気がしておぞましく身震いして身が持たなかった。
やっとのことで出口に向かい私は帰路についた。
【ホジティブへの復活】
自宅に戻り、一番に行ったのは、ルチアーノ・パヴァロッティの音楽CDを取り出し、彼の「肉声」を聴いたこと。
そしてティノ著の「パヴァロッティとぼく」の本を手にしたことであった。私はパヴァロッティの明るい顔と、明るい足の裏の写真(?)を見て闇から生還することが出来た。
彼の明るい歌声はすべてのネガティブを凌駕し、中和させ、ポジティブな光りで包み込む不思議な力がある。
芸術という名のネガティブにはご用心。また芸術という名の下に、ネガティブな絵を描く人を「進歩的」であり「文化」だと思わせる姿勢は危険な発想でもある。
私の場合はパヴァロッティの「華麗な歌声」によって救われた。皆さんにもお勧めしたい。