(安保法制懇の報告書)

安倍晋三首相は、本日(15日)、自ら設置した「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(略称「安保法制懇」)から「集団的自衛権行使を容認すべき」とする報告書の提出を受け、その後の記者会見で、行使の限定容認に向け、憲法解釈変更の「基本的方向性」を表明し、政府・与党に検討を指示しました。

(安倍首相の茶番劇)

 安倍首相とその周辺のこれまでの一連の経過を振り返ると、何か「茶番劇」を見させられているような気がします。そして、その茶番劇の筋書きを描き、演出をし、主役を演じているのが安倍首相自身です。そんな茶番劇に付き合わされている国民は、観客に止まっているだけでは済まず、いずれ当事者になるかもしれないのです。

この茶番劇では、「いかにも、優れた識見を有する有識者達が真剣な議論を経て報告書を作り、その報告書を首相が権威のあるものとして受け取った振りをする」のですが、実態は、「首相と同じ考え方を持った人達だけを自分勝手に集めて、ろくすっぽ議論もさせずに官僚達に指示して報告書を作らせた」ものです。

この茶番劇では、「いかにも、首相は、権威のある報告書に対しても、その報告書で示された提言よりもさらに抑制的な内容の『基本的方向性』を示す振りをする」のですが、実態は、「とりあえず、抑制的な内容の『基本的方向性』を示して一旦議論をまとめさせるが、次なる段階での解釈拡大を実現することを目指していこうとする」ものなのです。

(茶番劇の演技等;その1)

この茶番劇の主役を演じる安倍首相の演技も小道具も、論理で納得させていこうというよりも、視覚に訴え、情に訴えようとするものでした。

「赤ん坊を抱えた母親が危険にさらされている」かのような絵を描かせて情緒に訴えていましたが、そのような危険な事態がなぜ生じ得るのか、そのような事態に現行制度で対処できない理由は何なのか(本当に集団的自衛権の行使ができないからなのか)、を何ら説明していませんでした。

(茶番劇の演技;その2)

集団的自衛権の行使に当たっては、「朝鮮半島に関連した事項は韓国の同意がなければならない」等の条件を付していますが、この条件が本当に条件たり得るのか、極めて疑問です。

というのは、この条件が、憲法上の要請でなければ、国内法以下のレベルでの取扱い如何で変更可能であり、憲法上の要請であると解釈されても、必要があれば「解釈改憲」が可能だからです。今回の「解釈改憲」の経験で、必要があれば「解釈憲法」ができることの先例が生まれるのです。

(本来の「戦う場」で戦え)

安倍首相が、「つねに『闘う政治家』でありたいと願っている」(安倍晋三著「新しい国へ」)のであれば、茶番劇で「闘う政治家」を演じるのではなく、正々堂々と、本来あるべき闘う場(憲法改正手続きに則る憲法改正論議という場)で戦って欲しいと思います。

(了)