(アベノミクスに利点はあるのか)

今回(510日)、小野善康・大阪大学教授に講演をお願いするに当たって、私(平岡)から、その演題の仮題を「アベノミクスの功罪」としてお願いをしました。しかし、小野教授からは「アベノミクスには『功』はないから、演題は『成熟社会とアベノミクス』としたい。」と言われました。

(アベノミクスに対する一般的な評価)

私は、安倍晋三氏がアベノミクスを提唱した頃から、「アベノミクスの第1の矢『大胆な金融緩和策』は『需要の前倒し』、第2の矢『機動的な財政運営』は『所得の前借り』であり、短期的には効果が出るかもしれない。しかし、中長期的には、それらの政策の反動や副作用が心配されるので、第3の矢『成長戦略』が大事だ。」と主張していました。

(小野「アベノミクスは効果なし」)

しかし、本日の小野先生のお話では、長期不況の中では、アベノミクスの第2の矢はともかく、第1の矢は効果がないことが説得力を持って説明されたと思います。「成熟社会」では、人が「モノやサービスを消費する魅力よりも、お金を保有することの方に魅力を感じる」のですから、少々お金を配っても、それが消費に向かわないからです。

(更なる疑問:アベノミクスとインフレ)

それでも、「お金の魅力がなくなるほどお金を配ったらどうなるのか」という疑問は、残ります。例えば、「このまま金融緩和を続けていけば、インフレとなってお金の価値が大幅に減少するから、今のうちに使っておかなければ損だ。」という意識が国民に出てきたときは、アベノミクスは効果が出てくるのではないか、という問題です。アベノミクスは、正にそれを狙っているのでしょう。

(「成熟社会での金融緩和はハイパー・インフレしか起こさない」)

この問題について、小野教授と萱野稔人・津田塾大学准教授との対談を本にした「金融緩和の罠」の中から、回答を探ってみましょう。

物理的にはただの紙切れでしかない紙幣や国債が、価値を持つものとして信用される実体的な裏付けは、政府が国債(国債購入によって発行される紙幣を含む。)を税収によって着実に返済するという政府の徴税力・財政力であり、その徴税力の対象となる国内の経済力である(GDPが数兆円しかないのに、数十兆円の税を徴収することは不可能)。

政府がお金をばら撒き(国債や紙幣の大量発行)過ぎて国債や紙幣の信用が無くなれば、国債や紙幣は紙くず同然となる。そうなると思った時、人は、自分の持っているモノとお金を交換したいとは思わないし、自分の持っているお金(円)をドルや金(きん)に換えようとして、円の価値が猛烈に下がっていく。これがハイパー・インフレーション。

成熟社会の長期不況においては金融緩和では需要は増えないので、通常のインフレは起こらない。起こるのは、貨幣が紙くずとなるハイパー・インフレだ。一度そうなったら、経済の局面が全く変質してしまう。金融を引き締めても後の祭りで、取り返しがつかない。

(ハイパー・インフレの事例)

最近では、21世紀初頭のジンバブエのハイパー・インフレが有名です(2008年には、月間数億%の物価上昇率を記録)。我が国でも、第二次世界大戦後、194510月から19494月までの36か月の間に消費者物価指数は約100倍(敗戦後のインフレは年率59%)となりました。その時、戦中の日本政府の借入金総額は国家財政の約9倍に達していたそうです。

(ハイパー・インフレ発生の可能性)

そこで、現在の我が国の状況ですが、昨日(9日)財務省が発表した2013年度末の国の借金残高は1025兆円と過去最大を更新したそうです。2013年度の一般会計予算額は約93兆円ですから、借金残高は国家予算の約11倍となります。戦後の状況と比べてみると、ハイパー・インフレの発生する可能性を否定できないでしょうが、小野教授は、本日の講演会では、その可能性は少ないであろうと言っていました。

(「経済の実験」は許されない)

いずれにしても、ハイパー・インフレを起こさせないで、需要を増大させデフレ経済を克服する金融緩和策(アベノミクス)があり得るのか、シッカリと見極めていく必要があります。国民生活を犠牲にするかもしれない「経済の実験」は、是非とも避けたいものです。

(了)