(「立憲デモクラシーの会」の発足)

 昨日(18日)、憲法学や政治学のほか社会学や人文学など幅広い分野からおよそ50人の著名な学者が呼びかけ人となり、「立憲デモクラシーの会」が発足しました。「解釈改憲」しようとする安倍政権の政治手法に反対する学者たちが会員となっていますが、その中には護憲論者も改憲論者もいるそうです。

(私も憲法学者だったかも)

 もしかしたら、私も、若い頃の職業選択の道が違っていたら、「立憲デモクラシーの会」の会員になっていたかもしれません。と言うのも、私は、大学生の頃、「憲法学者になろう」との意欲を持っていたからです。そのままその道を選択していたら、間違いなく「立憲デモクラシー」の会に入っていたでしょう。

 私は、大学1年生の時、小林直樹・東大教授の「憲法」講義を聴き、大変感動しました。「日本国憲法」の存在は、中学校や高等学校の社会科授業で当然に知っていましたが、憲法の内容の奥深さ、憲法の各規定がどのような歴史的経緯によって生み出されたのか、などを教えられて、目を洗われるような気がしたのです。

(郷里の先輩・末川博先生との出会いと、人生の選択)

しかしながら、私が憲法学者にならなかったのは、私の母校(岩国高校)の大先輩である末川博先生(元京都帝大教授、元立命館大学総長)に京都の自宅でお会いして聞いたお話の影響です。末川先生は、民法学の大家で、同じく民法学の大家であった我妻栄・東大名誉教授と当時「東の我妻、西の末川」と並び称されていました。

中国を始め外国の賓客からの贈答品や外国からのお土産に埋もれた末川先生のお宅で末川先生からお聞きした話は、私にとっては意外なものでした。「大学者だから俗世間から超越した存在なのだろう」と思っていましたが、末川先生のお話は、我妻先生との競争意識など、一般の人の意識とほとんど変わらなかったのです。

そこで、私は、単純に「どうせ俗世間を超越することができないのであれば、俗世間にどっぷりとつかる弁護士の道を歩もうかな。」と思ってしまったのです。その後、色々な経緯のある中で、国家公務員となり、その後政治家への道を歩んでしまいました。

(私が選んだ道が違っていたら)

自分が選んで歩んできた道を、決して後悔しているわけではありませんが、もし、あの時、あのまま「学者への道」を選んでいれば、今回の「立憲デモクラシーの会」の発足に当たっては、間違いなく会員に名を連ねていたでしょう。ただし、他の会員と同じく「著名な学者」になれていたか否かは保証の限りではありませんが。

(了)