本日(2日)の朝日新聞に、東日本大震災から丸3年の検証記事として「安請け合いの政治のツケ」と題する記事が掲載されました。そこには、次のように書かれています。

 『民主党政権下では細野豪志・元原発相ら閣僚が毎週のように福島を訪れ、避難者や首長の要望を聞いて歩いた。そして拒むことはなかった。「・・・国は憎まれ役になるのを嫌がり、避難者にものが言えなくなった」(いわき市長)。安請け合いの政治は深刻な「矛盾」も生んでいる。』

私も、当時は、地方自治行政や放送・通信行政を担当する総務省の副大臣として、しばしば、福島県双葉郡の皆さんの避難先を訪問していました。それまでの安全神話に基づく「原発推進」の国策によって自分たちの生活が壊された人々の声は、悲痛なものがあったと思います。

しかも、原発事故発生当時、「原発事故被災者や避難民の声をシッカリと聞け」と各報道機関は何度も何度も報道していました。その報道機関の報道の中で、政治家を含めて国民みんながどれだけ「冷静な」対応ができたでしょうか。

 こんなこともありました。菅首相が、原発事故被災者の避難先である体育館を訪問して帰ろうとしたとき、一人の避難者が「もう帰るのか」と問いかけ、菅首相が引き返してその避難者と話をする場面が、何度も何度もTV画面で放映されました。菅首相がまるで「冷たい人」というイメージが伝えられたのです。

 逆に、小泉進次郎・衆議院議員が福島の被災者や避難民を毎月訪問していることが、「美談」として報じられました。同じことは、民主党政権下の政務三役でも、民主党の国会議員でも数限りなく行っていましたが、報道されたのは、ほとんど小泉議員の被災地訪問です。これで小泉議員は「心温かい英雄」というイメージが広がりました。

 報道機関のポピュリスト的報道の下で、選挙を抱える政治家がいかに「冷静な」判断をし、行動できるかは、難しい問題です。報道機関には、もっと本質を見極めようとする報道を目指して欲しいのですが、そのためには、報道機関は、先ず、原発事故被災者に関する自らの報道振りについて検証を行うべきではないでしょうか。

(了)