(裁判員の問題提起)

 青森、東京、愛知、大阪、徳島など9都府県の裁判員経験者20人が、昨日(17日)、「死刑に関する情報をもっと開示し、国民に死刑の問題を議論する機会を与えてほしい」との要望書を谷垣法相に提出しました。

今回要望を出した人の中には、死刑判決に関わった裁判員が3人いるそうです。彼らは、死刑囚の処遇や執行の様子などに関する情報公開や国民的議論がないままに死刑執行されると、「裁判員経験者の苦しみは極限に達するだろう」としています。

(谷垣法相の論理)

これに対して、谷垣法相は、「法治国家において、確定した裁判の執行は厳正に行われるべきことは当然だ。法務大臣として、裁判所が慎重な審理を尽くした上で出した判断を全部差し止めることは、法的措置が取られない限りできない。」と述べたそうです。

谷垣法相の発言は良く使われる論理です。付け加えて言えば、「死刑執行は法相の職責である。死刑執行しないのなら、法務大臣の職を受けるべきではない。」との論理も良く使われます。いずれも、官僚等が言うのであれば、それはそれで止むを得ないことだと思います。

(死刑執行は、なぜ法相の職責か)

しかし、谷垣法相は、立法府にも身を置く政治家です。更に突っ込んだ問題意識を持っても良いのではないでしょうか。懲役刑など他の刑は検察官が執行することになっているのに対し、死刑だけは法相が執行することになっている理由は、何なのでしょうか?

冤罪の問題もあれば、その時々の時代の流れもあれば、国際的な動向(注)もあれば、その他色々な事情を考慮して、その時点で死刑を執行することが総合的に見て問題ないかを判断すべきだからこそ、法相にその判断が委ねられているのではないでしょうか。

(注)死刑廃止国(10年以上の死刑執行停止国を含む)140ヶ国、存置国57ヶ国。「先進国クラブ」と言われる「OECD(経済協力開発機構)」34か国中、死刑廃止国31か国、死刑執行停止国1か国(韓)、残りは日と米(米国50州のうち、死刑廃止州は18州)

(谷垣法相への注文)

谷垣法相の「法的措置が取られないかぎり、死刑執行の全面差止めはできない」という考えは、間違っていません。しかし、死刑制度について国民的議論が必要であると認識するのであれば、そのための基盤づくりをする責任は、法相が担っているのです。

谷垣法相は、建前論に終始するのではなく、「我が国の現状が、死刑制度について国民的議論を必要としている状況にあるのか」について、時代を切り開くべき政治家としてシッカリと目を見開いて考えて欲しいと思います。

(了)