東京・九段北の靖国神社で行われている秋季例大祭に、18日、新藤総務相や超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の157名の国会議員が参拝しました。19日には、安倍首相の実弟である岸・外務副大臣が参拝をし、安倍首相は、同日の記者会見で、靖国神社の参拝に関して「国のために戦い、倒れた方々に尊崇の念を表し、ご冥福をお祈りする気持ちを表していくのはリーダーとして当然のことだ」と述べました。

安倍首相の言っていることは、部分的にはその通りと思いますが、問題の本質を考えるとき、あまりにも短絡的な感じがします。 私は、靖国神社への閣僚の参拝問題については、少なくとも、次の3つの視点を考えてみる必要があると思っています。

 先ず、その第一は、日本国憲法(第20条)に規定された「政教分離の原則」との関係です。憲法20条第3項は「国及びその機関(注;総理大臣も含まれます。)は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と規定していますが、「宗教団体である靖国神社に総理大臣が公式参拝することは、目的は世俗的であっても、その効果において国家と宗教団体との深い係わり合いをもたらす象徴的な意味を持つ」(多くの判決で同趣旨)と論じられています。

 政教分離の原則は、信教の自由の保障を完全なものにするためには、国家と宗教とを絶縁させる必要があることから認められた原則です。国家が特定の宗教を優遇することは、その逆に、それ以外の宗教の自由を抑えることになります。明治憲法の下では、国家神道が認められていた結果、政教分離は認められず、逆に、政教一致が原則とされていたのです。現憲法は、明治憲法の政教一致の下で信教の自由が否定されていたことに省み、政教分離の原則を採用しています。

 その第二は、アジア諸国との関係です。靖国参拝問題が一躍注目されるようになったのは、1985年(昭和60年)に中曽根康弘・首相(当時)が、周到な理論構成の準備をしたうえで「公式参拝」を行ったときからです。「8月15日に中曽根首相ら閣僚が戦後初めて靖国神社を公式参拝する」と発表されたことに対し、中国外務省が初めての公式見解として「中曽根首相らの神社参拝が実行されれば、中国人民、日本人民、アジアの人民の感情を害することになるであろう。」と発表しています。

 ここで注意すべきは、中国政府の考え方です。中国政府は、戦争責任については、「中国侵略戦争の責任は、日本軍国主義者にあるのであって、それ以外の日本人民は、中国人民と同じように日本軍国主義の犠牲者であった。」としています。そのため、中国政府は、「A級戦犯」を祀る靖国神社への参拝という首相等の政治的行為を問題としているのであって、「靖国神社そのもの」を問題としているのではない、と考えられます。

 その後、中曽根首相は、自ら行った公式参拝の反響に鑑み、公式参拝をした翌年の8月14日には、「近隣諸国の国民感情に配慮する」として参拝を正式に断念することを後藤田官房長官の談話として発表しています。加害者は、被害者の痛みが十分に分からず、時として被害者の気持ちを知らず知らずのうちに踏みにじっていることがあることを忘れてはならないと思います。

 その第三は、靖国神社の位置づけです。そもそも、靖国神社は、どのような状況の下で、どのような目的を持って創建され、国家神道の中心施設となったのでしょうか。靖国神社の歴史は新しく、1868年(明治2年)に、戊辰戦争における官軍側の戦死者を祀るために「東京招魂社」として創建され、その10年後に「靖国神社」と改称され、内務、陸・海軍3省の所管(その後、陸・海軍2省の所管)となりました。そして、日清戦争直後の1894年(明治28年)、福沢諭吉が社主であった「時事新報」の論説では次のように書かれています。

「いつまた戦争になるかもしれない。戦争になったら、何に依拠して国を護るべきなのか。それは、まさしく死を恐れずに戦う兵士の精神に他ならず、したがって、その精神を養うことこそ国を護る要諦である。そして、それを養うためには、可能な限りの栄光を戦死者とその遺族に与えて、戦死することが幸福であると感じさせるようにしなければならない。」と。そして、その1ヵ月後に、靖国神社での日清戦争の臨時大祭と明治天皇の靖国神社参拝が実行されたのです。

 以上、3つの視点について概説してみましたが、一国の「リーダー」は、こうした視点を見失ってはならないと思います。(了)