本日、午後7時過ぎ、私の母・平岡フサ子が満82歳で逝去しました。私の参院補欠選挙期間中の4月中旬に、胃ガンのために胃の全摘手術を受けましたが、そのガンが肝臓に転移してしまっていて、ついに帰らぬ人となってしまいました。



母は、岩国市内の農家の次女(7人兄弟の上から3番目)として生まれ、19歳で同じく農家の長男であった父・平岡勝人(2年3か月前に死去)の下に嫁ぎました。結婚してからも父の弟2人や妹1人を姉のように世話をし、私たち3人の子ども(姉、私、弟)を育ててくれました。


私が子供の頃に書いた「お母さんの絵」は、いつも、玄関口の土間でネギのしご(汚れた表皮をむいて、数本を束ねる作業)をしている姿でした。いつも、外では蓮田や畑で野良仕事をし、家では炊事や家事をしていた母は、本当に働き者であったと思います。



私が15年余り前に政治家を目指して故郷に帰ろうとしたとき、最後まで強く反対したのは母でした。母が平均寿命よりも早く病で亡くなったのも、もしかしたら、私が政治家として母に大きな心配を掛け過ぎたからかも知れません。



母と私とが一緒に電車に乗った時そっくりな二人の顔が窓ガラスに映っていて、二人で大笑いしたことがあります。顔がそっくりな分だけ、母は私のことを自分のことのように心配してくれていたのではないでしょうか。



 今日は、母の「死に目」に逢えました。いつもは、未熟な私に小言を言っていた母も、もう小言を言う元気がありませんでした。母に、「いろいろ心配かけたけど、ありがとうね。ありがとう。」と言ってお別れできたことがせめてもの救いだったと思います。