今年も、広島と長崎の原爆の日が終わりました。平和記念式典での感動的なスピーチが幾つかありましたが、私が特に関心を持ったのは、両被爆地ともに「北東アジア非核地帯構想」に前向きな姿勢が示されたことです。

 実は、「北東アジア非核地帯構想」は、政治家としては初めて、私が事務局長を務めていた民主党・核軍縮促進議員連盟が、ちょうど5年前の8月8日、長崎の原爆の日の前夜、長崎の地で「北東アジア非核地帯条約案」として公表をしたのです。

 その後、日韓の国会議員間での意見交換、NPT(核不拡散条約)運用検討会議とその準備会合でのサイド・イベント等で国際的にも公表・働きかけを行ってきました。その努力が、多くの関係者の皆さんの中に少しずつ理解が深まりつつあることを嬉しく思います。

 以下に、「北東アジア非核地帯条約」案の特徴をご紹介します。是非、皆さんとその実現に向けて頑張って参りたいと思います。



1、条約の当事者は、「韓国、北朝鮮、日本の3カ国(地帯内国家)」と「周辺の3つの核兵器国である米国、中国、ロシアの3カ国(近隣核兵器国)」の6者。

2、日本の非核3原則(保有しない、製造しない、持ち込まない)に相当する非核原則を北東アジア地域全体(日本列島と朝鮮半島)で実現する。

3、近隣核兵器国は地帯内国家に『消極的安全保証』(核兵器使用や核兵器による威嚇をしない)を約束する。

4、地帯内国家の国内にある他国の軍事施設(例、在日米軍基地)も対象とする。

5、被爆体験の継承と核軍縮教育の義務を定める。

 以下、参考までに、非核兵器地帯や北東アジア非核地帯条約案に関するこれまでの実績や活動状況をご紹介します。

(1) 世界の非核兵器地帯

先ず、世界の地域的な非核地帯条約について見てみましょう。地域的な非核兵器地帯条約は、1967年以降、以下のように順次締結されてきており、現在では、南半球は、実質的に核兵器とは無縁の地域となっているのです。

トラテロルコ条約(ラテンアメリカ及びカリブ核兵器禁止条約:署名67年、発効68年)

ラロトンガ条約(南太平洋非核地帯条約:署名85年、発効86年)

バンコク条約(東南アジア非核兵器地帯条約:署名95年、発効97年)

ペリンダバ条約(アフリカ非核兵器地帯条約:署名96年、発効09年)

セミパラチンスク条約(中央アジア非核兵器地帯条約:署名06年、発効09年)

地域ではないが、モンゴルが、非核兵器地帯地位を98年12月4日に国連総会決議で認知され、00年2月3日に国内法を制定している。

(2) 北東アジア非核地帯条約

北東アジア非核地帯条約案は、岡田克也衆議院議員(現在、副総理大臣)が会長、そして私が事務局長を務めていた民主党核軍縮促進議員連盟が、08年8月9日の「長崎原爆の日」の前夜に、長崎市で発表しました。この条約案は、既存の非核兵器地帯条約や、既にNPO法人「ピースデポ」等によって作成されたモデル案を参考として作成されており、その内容の基本的枠組みは、「韓国、北朝鮮、日本の3カ国の地帯内国家と近隣核兵器国である米国、中国、ロシアの3カ国が非核地帯条約を締結すると共に、近隣核兵器国は地帯内国家に核使用や核による威嚇をしないという意味での『消極的安全保証』を行うという方式、すなわちスリー・プラス・スリーの方式」を採っています。

(3) 2010年NPT再検討会議の前

長崎で条約案を発表した後、国際的には、09年5月、私が、民主党核軍縮促進議連の事務局長として、ニューヨークで開催された2010年NPT運用検討会議の準備委員会のサイド・イベントにおいて「北東アジア非核地帯条約案」を国際的に発表したほか、09年11月に韓国で、そして10年2月に日本で、日韓国会議員等によって、北東アジアの非核化について協議を行いました。このうち、日本での協議においては、両国国会議員による共同声明を発表し、日本の国会議員では86名、韓国の国会議員では7名がそれぞれ賛同しています。

また、日本国内では、09年6月に行われた民主党代表選挙において、岡田克也候補が、本条約案の実現を公約に掲げるとともに、それに触発されたもう一人の代表候補・鳩山由紀夫氏も、やや抽象的な表現ではありましたが、自らの公約に取り入れました。そして、政権交代をかけた09年8月の総選挙では、総選挙の結果政権交代の中心となった民主党が、マニフェスト(政権公約)に「北東アジアの非核化を目指す」との政策を示したのです。しかし、残念ながら、政権交代後の民主党政権下では、「北東アジアの非核化」については、首脳レベルでの演説等で触れられませんでした。

(4) 2010年NPT再検討会議

2010年にニューヨークで開催された2010年NPT再検討会議においては、「北東アジア非核地帯」について様々な動きがありました。そのうち、同年4月29日に開催された「非核地帯に関する市民社会フォーラム」では、「中東、北東アジア、北極、中欧における非核地帯の設立に向けての可能性を探求することを支持する」と総括され、北東アジア非核地帯化が明記されましたが、同月30日に開催された「第2回非核地帯条約締約国会合」や翌月28日に採択された運用検討会議本会合の「最終文書」では、「朝鮮半島の非核化」に言及されただけでした。

なお、NPT再検討会議のサイド・イベントとして NGOが5月6日に開催したワークショップ「北東アジア非核地帯」においては、私から民主党の「北東アジア非核地帯条約案」を詳しく紹介し、参加者の皆さんと熱心に協議を行っています。

(5) 2010年NPT再検討会議後の活動

米国政府の高官(ニクソン政権の国家安全保障会議メンバー、クリントン政権の国防次官や国務省政策立案部長等)を務めたM.H.ハルペリンは、2011年11月に、北東アジアに関する包括的条約の一部を構成するものとして、「北東アジア非核兵器地帯」を提案しています。また、核軍縮・不拡散に熱心なG.エバンス元・豪外相が音頭を取り、我が国の福田康夫・元総理や岡田克也・元外相(当時)らが賛同署名した「核軍縮・不拡散のためのアジア太平洋指導者ネットワーク(APLN)」が、同年12月に発足し、その重要課題の一つとして、「北朝鮮を含む北東アジア非核地帯実現の見通しと実現可能性を吟味すること」をあげています。

日本国内でも、国会(昨年4月5日の参議院予算委員会)で北東アジア非核地帯条約案が取り上げられ、これまで、構想自体には積極的であったが、現時点で政府が提唱することに消極的であった岡田克也・副総理大臣が、「外交は総理大臣、外務大臣が行うべきものだ」としつつも、現職の大臣として「北東アジア非核地帯構想の条約案は、是非実現したいと思う。」、「北東アジア非核地帯条約案は、核を北朝鮮に諦めさせるための手段としても活用することは可能だと思っている。」と答弁しています。

更に、関連する動きを紹介すれば、現在でも引き続きNPO法人「ピースデポ」が呼び掛けている「北東アジア非核兵器地帯を求める国際署名」が行われており、現在では全国1740余の市町村長のうち400名超の市町村長が賛同署名をしています。(了)