「岩国市手をつなぐ親の会」(2008年に「岩国手をつなぐ育成会」と改称)が結成50周年を迎え、その記念チャリティー事業として「現代国際巨匠絵画展」が、岩国市のシンフォニア岩国で明日(13日)から15日まで開催されます。


 本日は、その絵画展に出品されるジャン・フランソワ・ブルジャ画伯を迎えてのレセプションが同所で開かれ、私も参加しました(私のフェイスブックとツイッターに、私とブルジャ画伯のツーショットと、ブルジャ画伯の絵画2点の写真を掲載しましたので、ご覧になって下さい。)


 「岩国市手をつなぐ親の会」の黒元治生会長は、私が高校時代に物理を習った先生です。お子さんが障害児であったことから、障害児教育や障害児福祉に熱心に取り組んで来られました。本日も、実行委員長の挨拶の中で、「親の会」結成前の話も含めて、60年にわたる障害児政策の推移について心を込めてお話し下さいました。


 私の叔母(母の妹)は、「岩国手をつなぐ育成会」の副会長です。本日のレセプションで〆の挨拶をしました。自分の子が障害児であったことで経験した40数年間の苦労を思い起こし、言葉に詰まりながらの挨拶になりました。私が子供の頃から聞いていた叔母の苦労を思うとき、本当に頭の下がる気持ちです。


 そこで、その叔母から以前に聞いた、私の印象に残ったお話をここにご紹介します。


 一つは、叔母が障害児を子供に持ったことを愚痴った時に、当時消防署に勤務していた私の父が「どこの家も、自分の家が火事になるとは思っていないが、家事は一定の確率で必ず起こる。誰も、自分が障害児の親になるとは思っていないが、そうした親は必ず一定の確率で生まれる。その運命にシッカリと向き合おうではないか。」と言ったそうです。偏見を持つことなく、社会全体で障害者問題に向き合いたいと思います。


 もう一つは、私が13年前に衆議院議員選挙に出馬したときの話です。叔母は、「秀夫さん(私のことです)は優秀な成績で、姉(私の母です)をうらやましく思ったこともあるが、この選挙で一番活躍したのは、障害を持った私の娘だと思う。障害のある娘を通じて、広範囲に数多くの友人達に恵まれ、その友人達が一生懸命応援してくれた。娘を誇りに思う。」と言われました。皆さんの思いを決して忘れてはならないと、私は思っています。


 このような親御さんに支えられた「現代国際巨匠絵画展」に、皆さんも是非お出かけください。