本日、通常国会が終了し、安倍首相が記者会見を行った。この記者会見では、安倍首相は、安倍内閣が発足して以降の6か月を振り返ると共に、来月行われる参議院議員選挙に向けての抱負を語っている。



 その中で安倍首相が最も言いたかったことのキーワードは、「ねじれ国会」であると思う。「ねじれ国会だったので、やりたいこともやれなかった。」「参院の問責決議は、ねじれ国会の象徴だ。」「日本のため、ねじれ国会に終止符を打つ。」「ねじれ国会に終止符を打って、安定した政治の下で新しい未来を切り開く。」等々。



 しかし、「ねじれ国会」は、本当にそんなに問題なのだろうか。確かに、政権自身がやりたいと思っていることをスムーズに進めるためには、国会がねじれていない方が良いだろう。しかしながら、民主主義の国では、意見が異なることを前提としており、意見が異なる場合、相手を説得したり、相手にある程度妥協したりすることは当然必要なことである。



 安倍首相が「同盟関係にある国」と慕っている米国でも、大統領と連邦議会がねじれていることは良くあることだ。現在のオバマ大統領(民主党、下院が共和党)もそうだし、遡っていくと、ブッシュ父(共和党、上・下院が民主党)、レーガン(共和党、下院が民主党)、ニクソン(共和党、上・下院が民主党)、アイゼンハワー(共和党、上・下院が民主党)などもそうだ。



 思うに、安倍首相の言動は、「味方」と思う人には大変気を遣って甘い言葉を使うが、「敵」と思う人には悪し様に厳しい言葉を使っている。先日話題となった田中均・元外務審議官に対する安倍首相のブログでの批判もそうだった。「民主党がやってきたこと、考えていることは全く間違っている。自分たちがやっていることは完璧に正しい。」という意識が強すぎるのではないか。



 参院選では、「ねじれ国会の解消を訴えることを止めよ」と言うつもりはないが、「たとえ、ねじれ国会でも、自分たちは〇〇を実現していきたいんだ。」という気概を示して欲しいし、「〇〇」という政策の中身で参院選を戦って欲しいと思いますね。