前回のブログも、前国会議員の今野東さんの話でしたが、今回、もう一度、今野東さんの話をさせて下さい。

 昨日の「今野東さんのお別れ会」で、旧知の人が「辛淑玉さんが、雑誌『マスコミ市民』に今野東さんのことを書いているので、メールで送ってあげます。」と言って、以下の文章を送ってくれました。社会的弱者への思いの強かった今野東さんのことが詳しく書かれたものです。

 そんな今野東さんに「平岡さんは、意外と庶民的だし、日本の総理大臣になったらもっと良い日本になるね。」と言ってもらったことを誇りに思います。やはり日本社会の中で辛い思いをして暮らしてきたであろう在日コーリアンであり、、5年前の私の衆議院補欠選挙で山口県まで応援に来てくれた辛淑玉さんの文章をぜひ読んでください。


死に際 の美しさ-今野東-

 こんちゃんが、死んだ。
 みんなが「こんちゃん」と呼ぶのは、国会議員だった今野東さんだ。間質性肺炎の急性憎悪で、発症から約一ヶ月だった。
 最後に彼と話したときは、筆談だった。「あの子、出れてよかったね」と書かれていた。「あの子」とは、幼い頃に連れ子として日本に来て、ネグレクト、精神的暴力、性的虐待と追い詰められた末、親を殺してしまった少女のことだ。
 その少女は、日本語しか理解しない。しかし親は日本語が不自由だった。日本国籍のない少女の法的地位は、驚くほど脆弱だった。地獄のような環境を生き抜いた人をサバイバーと呼ぶなら、サバイバーは、決して美しい被害者ではない。その多くは感 情の起伏が激しく、他者との関係がうまく作れない。傍からは社会性も欠落しているように見える。 その少女も、母を愛していると言ったり、明るい未来を語ったかと思うと、怒りに駆られて自罰的になったり、時には破壊的な行動もした。そうやって、心のバランスを一ミリづつ修正していくのだ。
 こんちゃんは、少年院に何度も足を運んでくれた。そして、彼女がこの社会で生きていけるように、政治家としてできうる全てのことをしてくれた。
 ふと、10年近く前のことを思い出す。国連から難民認定を受けて日本に来た一家が、強制退去処分になった。迫害する母国に父親と息子が送り返された。残された妻や娘たちは、せめて一人でも生き残ろうと、 いくつかの国の駐日大使館に別々に駆け込んで亡命することを決意した。最後の言葉をと言われて、当時夜間中学に通っていた末娘が、「コンノセンセに会えてよかった。コンノセ
ンセがいてくれたから生きられた。アリガトウ」とカメラに向かって大粒の涙を流しながら語った。
 入国管理事務所に何度も通い、強制送還を阻止したのは、今野議員だった。彼は、難民を救っただけではなく、国際社会における日本の良識をも救ったのだ。 多くの人は、外国籍住民が日本に居たいなら「帰化」すればいいじゃないかと簡単に言う。彼らは、日本国籍を取得するハードルの高さを知らない。知ろうともしない。
 日本で暮らして百年以上経つ在日四世の一家が日本 国籍を取得しようとしたとき、法務省の窓口の役人は、中学生の息子に向かって「あなた、ヤクザとかとの接点は?」と聞くのだ。親には、「今まで税金ごまかしてたんでしょ?国籍が欲しいから、やっと税金納めたんでしょ?」と、驚くほど差別的な言葉を平気で投げつける。その一家が貧困のどん底で必死で働いてきた姿を見ているだけに、他人の私のほうが怒りに駆られた。しかし、抗議などしたら何をされるか分からないからと、彼らは言われるがままだった。
 私は、日本で生まれ、日本がふるさとで、日本語を話し、日本の市民権を取りたいという人に対してそのような対応をするのは、日本が嫌いな人を量産する行為だと指摘した。
 米国市民権を取得した 際の式典では、会場に全ての国や地域の旗が飾られ、今回市民権を取得する人たちは××の地域から来た人ですと、一つひとつ司会者が告げていく。その数の多さにも驚くが、最後に「みなさんの誇りある歴史と文化こそがアメリカの強さです。ようこそ!」と言われ、そして、選挙に行ってこの国をもっと良くしましょうと締めくくられる。感動的なスタートだ。
 他方日本では、そもそも国籍取得は法務大臣の裁量権の範囲内で、ルールがない。一度駐車違反をしただけで、数年間申請書類が受理されない。
 また、日本の税金を使わないこと、が条件なので、資産をはじめ、様々なことが調べられる。そして、すでに民族名による日本国籍取得が許可されているの に、「いじめられるから」という理由で「日本人らしい名前」を強いられる。それは、日本にとって本当に豊かなことなのだろうか。
 そんなとき、今野議員は、「どういうこと?」と、官僚を呼び出して聞いた。彼はいつも、一人の人間の向こうに制度や仕組みのおかしさを見つけて変えていく。政治はパーソンなのだ。
 教会で行われた葬儀には、難民の人たちからの花が飾られていた。どれだけ多くの人がここに来たかっただろう。しかし、移動許可さえ出ない人たちにとって、宮城県はあまりにも遠い。こんちゃんのご遺体が教会から出てくると、雨が降りだした。あの子も、この子も、泣いているんだと思った。一票にならない人たちの慟哭が聞こえた 。そして日本は、日本人が真に誇れる政治家を失ったのだと思った。
 間質性肺炎は、最も残酷な病だ。急性増悪になると、他のすべての臓器は健全なのに、真綿で首を絞められるようにして、一週間ほどで亡くなると言われている。喋れない。息ができない。そして、事切れる。
 病室のこんちゃんは、娘さんに言わせれば「死ぬ気満々」だったという。集中治療室にまで押しかけて「頑張れ!」とパワハラを続ける私に、「もぉ、じゃぁ、頑張ってあげるよ」と書いた。
 きっと、何度も、もう楽にして欲しいと願ったことだろう。しかし、家族も、私たちも、それを受け入れたくなかったのだ。そして、一ヶ月近くも苦しみぬいて、結婚記念日の翌日に、彼は天使 になった。
 YouTubeでは、東方落語の今野東の姿が見られる。そして、彼の朗読「雨モマケズ」を聞いて欲しい。彼の東北弁を聞いていると、東北はなんと豊かで素敵なのだろうと胸が熱くなる。
 こんちゃんは、最後まで周囲を笑わせ、そして、私たちのために闘いぬいてくれた。
 こんちゃん、ありがとう。』