今日は、いつもと違って、私的な話題をさせて戴きますことをお許しください。

本日、私と同い年の従兄・白木清彦君の告別式が故郷・岩国市内で行われました。私は、あいにく、東京でどうしても外せない会議がありましたので、本日の告別式には出席できず、昨夜のお通夜に出席させていただきました。そして、私の思いは、司会に方に代読して戴いた弔辞に託させていただきました。

清彦君は、彼のお母さんと私の母とが姉妹である従兄弟同士です。住んでいる所は、小学校区が違っていましたので、同い年でありながらも、会えたのはお盆とお正月に母親の実家に連れて行ってもらった時くらいです。清彦君は、小さい時から体が大きく、野球が好きで得意でした。10数年前に亡くなった母の弟(二人の叔父さんになります。)が、母の実家で、清彦君とよくキャッチボールをしていて、同じく野球が好きだった私が羨ましく思いながらも見ていたことを覚えています。

清彦君と私が頻繁に会えるようになったのは、二人が同じ中学校に通うようになってからです。清彦君は、当然のことながら、野球部に入ってその体を活かしてキャッチャーをしていました。私は、野球部が練習しているすぐ傍にコートのあった軟式テニス部に入っていましたので、良く、清彦君たちの野球の練習を見る機会がありました。清彦君が、いつも大きな声を出して、ナインに檄を飛ばしていた元気な姿を思い出します。

中学校卒業後は、高校が別々でしたので、会う機会は余りありませんでしたが、高校野球の試合で頑張っている姿をよく目にしました。清彦君と久しぶりに再会をしたのは、私が故郷の岩国市長選挙に出馬するために平成10年10月に故郷に帰ったときです。それ以来、清彦君は、私の選挙を応援し続けてくれていました。昨年12月に、清彦君は白血病で入院して闘病生活を続けていましたが、ご家族や友人の皆さんの願いもむなしく、一昨日早朝に亡くなりました。

幼い頃からお互いの存在を意識しあっていた従兄が亡くなったことは、とても寂しく、残念です。清彦君の無念の気持ちを思いやるとき、生かされている私が自分の信じる道を思う存分歩んでいくことの大切さを強く感じています。私が政治の世界で活躍することを喜んでくれていた清彦君も、きっと、私がそうした思いをもって頑張ることを望んでくれているものと思います。清彦君のご冥福を祈念します。

以下、今日の弔辞をご紹介します。

『弔辞

 故白木清彦君の告別式にのぞみ、ここに深く哀悼の意を表します。

清彦よ! なぜこんなに早く逝ってしまったんだ。お前との別れがこんなにも早く訪れるなんて、僕には信じられません。これが夢であれば、「何とか、覚めて欲しい」という気持ちで一杯です。

 清彦とは、母親が姉妹同士の従兄弟(いとこ)として、同い年で生まれ、育ちましたね。お前は、小さい頃から野球が好きで、プロ野球選手を目指すくらい野球に打ち込んでいたよね。野球が好きだった僕も、プロ野球選手を夢見たこともありましたが、お前が野球に打ち込む姿を見て「とてもかなわない」と思ってあきらめたこともあったんだよ。生涯、野球を愛し続けたお前は、きっと、あの世でも野球を楽しむのだろうね。

今から12年余前、僕が衆議院議員選挙に初挑戦した時、お前は、僕の乗る選挙カーの運転手をしてくれたよね。お前は、運転をしながらでも、手を振って応援してくれる人を見つけると、「秀夫!あっち、あっち」と指差して私を気付かせた上に、「秀夫!走って来い」と言って、私を鼓舞してくれたよね。苦しい日々だったけど、無我夢中で二人で頑張ったあの時のことが、まるで昨日のことのように思い出されます。もう一度、お前と一緒に選挙カーに乗ってみたいよ、清彦。

君は、残された奥さんやお母さん、そしてご家族のことが心配だろうね。君は、二人の息子さんに、「お母さんのことを頼むよ」と言い残したそうだね。立派に育った息子さんたちは、きっと、君の願いをかなえてくれると思うけれども、僕達も、微力であり、君に代わることはできなくても、奥さんやご家族の皆様のためにできる限りのことはさせて頂きたいと思います。どうか、ご安心ください。

 清彦よ! どうぞ、安らかに眠って下さい。幼いころから同い年の従兄弟として育った私から、君に最後のお別れを申し上げ、心からご冥福を祈念申し上げます。
 さようなら。』