1、日弁連調査団の派遣

一昨日(3日)から今日にかけて、日弁連の「死刑廃止検討委員会」調査団(団長:加毛修・死刑廃止検討委員長)の一員として、韓国の死刑制度の状況を調査するためにソウルに出張しました。現在、先進国グループであるOECD(経済開発協力機構)34か国のうち、死刑制度が残っている国は米、韓、日の三カ国なのですが、そのうち韓国は、98年から現在まで死刑執行を停止しており、国際的には「事実上の死刑廃止国」と位置付けられています。調査団全体は、3日(日)から6日(水)までの日程ですが、私は、公務の関係から実質1日半の参加に止まりました。なお、この調査団には、05年から06年にかけて自民党政権時代の法務大臣を務めた杉浦正健・弁護士も参加されています。

2、私の参加した調査団活動の概要

初日(3日)は、夕方からの懇談会で、「韓国死刑廃止運動協議会」の李相赫(イ・サンヒョク)名誉会長(弁護士・法学博士、78才)、許一泰(ホ・イルテ)会長(東亜大学教授)らからお話を伺いました。特に、李名誉会長は、89年に協議会を立ち上げて死刑廃止運動を始めた頃から現在までの韓国の状況を自らの体験も踏まえての興味深いお話を聞かせて戴きました。李名誉会長は、韓国社会でも人望の厚い人で、ソウル大学の同窓会長を務めたこともあり、法曹界、マスコミ、宗教界、政界等にも多くの人脈を持っておられ、正に、死刑廃止問題の歴史は李名誉会長の活動の歴史と言っても過言でないと思います。懇談会の後の夕食会でも、隣に座らせていただいて色々なお話を聞かせてもらいました。

二日目(4日)は、午前、韓国法務部の権在珍(クォン・ジェンジン)法務部長官を表敬訪問した後、法務部の局長や課長から、韓国死刑制度の現状、死刑執行停止の状況、死刑存廃に関する議論の状況などに関して説明を受けました。権長官は、検察官出身であり、各国国内でも死刑制度を巡っては国民、学者、政治家の間でも意見が分かれていること、EUに訪問した際には韓国が死刑制度廃止をすることを期待されたこと等を話されましたが、死刑制度に関して韓国政府が明確な方針を示せないことに苦悩している様子が伺えました。

その日の午後は、ソウル拘置所を訪問しました。現在韓国にいる死刑確定者は58人(我が国は、130人強)で、そのうち18人がソウル拘置所に収容されています。物理的には、東京拘置所と比べて優れているということはなかったと思いますが、死刑確定者の処遇については韓国の方がシッカリしています。というのも、韓国では2008年に行刑法が改正されて、死刑確定者の処遇について細かく規定したからです。例えば、死刑確定者の心理的安定と円満な収容生活のために必要であると認める場合には、申請により刑務作業を認められたり、教育・教化プログラムを実施したり、月3回以内の電話通話を許可したりすることができることが規定されています。

その後、日本と韓国の刑法や刑事政策に詳しい東国大学の朴乗植(パク・ビョンシク)教授から韓国の死刑制度の推移等について約2時間の説明を受け、その夜は、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領時代の2005年から2006年に法務部長官を務めた千正培(チョン・ジェンベ)氏を交えての夕食会が行われました。千元長官は、韓国の民主化推進に尽力してきた弁護士で、国会議員歴もある人です。同時期に日本で法務大臣を務めた杉浦・元法務大臣とも旧知の仲の人でもあります。残念ながら4月の国会議員選挙では落選されてしまいましたが、以前から交流のある調査団のK弁護士は「将来の韓国大統領に期待している人だ」と言っていました。千元長官は、「現職時代に、法務部に対して死刑制度の廃止の段取りを検討することを指示したが、実現には至らなかった」旨述べていました。

3、韓国の死刑執行停止等の歴史

 ここで、韓国で死刑が執行停止になった経緯や死刑制度廃止に関する議論の推移についてご紹介したいと思います。

86年に韓国の民主化が進み死刑についての論議も可能になり、更に、88年に憲法裁判所ができてソウル刑務所問題についての判決も89年に出ました。そのような韓国の動きの中、89年、国連総会での死刑廃止条約の採択やアムネスティの「死刑廃止の年」宣言に触発されて、今回お会いした李弁護士が中心となって、国会議員、弁護士、宗教家、一般の有名人などをメンバーに含めた「死刑廃止運動協議会」を設立しました。

98年2月、かつての独裁政権時代に死刑囚であった金大中(キム・デジュン)大統領が就任し、「犯罪を犯したからと言って命を奪い、更生の機会を奪ってはいけない」として死刑執行停止を表明しました。実は、その前年(97年)12月には、時の大統領である金泳三(キム・ヨンサン)大統領が、政権終了間近にして23人の処刑を行っていますが、これは金大中大統領の就任を意識しての行動ではなかったのかとも指摘されています。

98年以降、現在まで死刑は執行されていませんが、その間、国会議員の手によって何度か「死刑廃止法案」が提案されています。特に、04年には、70年代の「人民革命党事件」で死刑宣告を受けた柳寅泰(ユ・インテ)議員が発議し過半数の議員175名が署名した死刑廃止法案が提出されましたが、本会議の審議にも至らず廃案となっています。その後も、08年から現在まで、国会議員発議で「死刑廃止に関する特別法案」3件が国会提出されていますが、いずれも廃案となっています。なお、これらの法案のいずれも、死刑廃止の代替として、仮釈放なしの終身刑などの創設を併せて提案しています。

その他の動きとしては、04年にカトリック正義平和委員会、キリスト教教会協議会、仏教人権委員会などが集まって「死刑廃止汎宗教連合会」が発足しています。また、大統領の下に独立の政府機関として設立された「国家人権委員会」は、05年4月に、「死刑制度は生命権の本質的内容を侵害するものである」として、死刑廃止を勧告しています。また、憲法裁判所は、93年と10年に死刑制度の合憲性について裁判していますが、前者は7対2、後者は5対4の僅差で「合憲」の判断を下しています。そしてその判決の中で、「死刑制度を存置するか廃止するかの問題は、立法府が決めるべき立法政策的な問題である」としています。なお、国家人権委員会の勧告は、これらの判決後も維持されています。

07年12月、韓国は、10年間死刑を執行しなかったことから、国際的には「事実上の死刑廃止国」に位置づけられました。このことを記念して同年10月に市民団体が主催した「死刑廃止国家宣布式」で、金大中・元大統領は、「人権先進国の仲間入りを果たした」と語ったそうです。しかし、その後も、08年以降「死刑廃止法案」が国会に提出されても成立していないことは、上述の通りです。

4、韓国の死刑制度の今後

昨日の法務部での「死刑制度存廃に関する議論」についての説明でも、韓国国内では議論が分かれていることが説明されました。即ち、学者の立場は、存置論、廃止論、時期尚早論と分かれていることが説明されましたし、国民の世論調査も、「死刑制度存続支持は、60%程度を基準にして上下しているが、調査時点が凶悪犯罪直後には支持が上昇する傾向がある」と説明されました。ただし、世論調査の結果は、設問や回答選択肢の如何によって変わってきますので、注意が必要だと思います。

以上のような状況を踏まえ、韓国の今後の死刑制度の行方については、死刑廃止運動協議会の李名誉会長と許会長とで意見が分かれていました。李名誉会長は、「今後のことを考えると夜も寝られない。保守派の勢力が大きくなって、死刑執行が再開される可能性が非常に高いと感じている。」と心配し、許会長は、「韓・EU犯罪人引渡し条約の締結によって、EUからは死刑執行をするな、との圧力がある。世論も、死刑に代わる代替刑(例えば、仮釈放のない無期刑)を導入するなら死刑がなくても良いとする意見が50%を超えている。」として、死刑執行の再開は難しくなっているとの考えを示しました。

いずれにしても、これまでの日韓関係からして、日本と韓国における死刑に関する動向が互いに影響しあうことは間違いがありません。その意味でも、我が国において、今、死刑制度の在り方に関する国民的議論をすることが大事であることを改めて感じました。

(了)