改めて北東アジア非核化を問う


 今年も、広島と長崎で「原爆の日」を迎える季節がやって来ました。今年は、東京電力の福島第1原発の事故が発生し、原発政策の在り方も問われる「原爆の日」になっていることが例年とは異なっています。しかしながら、原発政策の見直しも重要な政策であることは論を待ちませんが、ここでは、1963年に核不拡散条約(NPT)が国連で採択(1970年発効)されて長年取組んできているにもかかわらず未だにその出口が見えない核軍縮・核廃絶に関し、改めて、「北東アジア非核地帯化」の問題を提起したいと思います。


 「北東アジア非核地帯化」は、3年前の本日(8月8日)、当時野党であった民主党の「核軍縮促進議員連盟」が長崎市内のホテルで、「北東アジア非核地帯条約案」という形で発表しました。当時の「核軍縮促進議員連盟」の会長は、岡田克也・衆議院議員であり、事務局長は私が務めており、両者を含む「核軍縮促進議員」の数人のメンバーで長崎「原爆の日」の前夜に発表したのです。その後、以下に説明するように、色々な議論、活動を展開してきていますが、未だに公式の場で取り上げられることがないのが残念です。


(条約案発表時の状況)


 多くの国民の皆さんがご存知のように、既に、我が国には、国是としての「非核3原則」が存在しています。また、朝鮮半島には、「朝鮮半島非核化共同宣言」が、91年に韓国と北朝鮮とで署名され、92年に批准書が交換されています(しかしながら、この共同宣言は、その後の北朝鮮の核開発疑惑により挫折しています。)。05年9月19日に、6者協議の共同声明において、北朝鮮が全ての核兵器・核計画を放棄することが確認されましたが、06年10月9日、北朝鮮が地下核実験を実施し、その後、6者協議は紆余曲折を経ながら進展なく推移していました。


 以上のような国際的動向を踏まえ、私たちは、あくまでも「核兵器のない世界」を目指すという目標に立った上で、その目標と矛盾することなく、核廃絶に向けてより実現性の高い部分的又は段階的アプローチを模索することも重要であると考えて、「北東アジア非核地帯条約案」を提案したのです。北朝鮮にとっては、自分たちが核兵器・核計画を放棄しても、その後の北東アジア地域の状況がどのようなものとなるのかその将来像が見えなければ、不安が拭い去れないというのが実情ではないでしょうか。


(条約案の内容)


 この条約案は、既存の非核兵器地帯条約(ラテンアメリカ・カリブ、南太平洋、東南アジア、アフリカ、中央アジアの各地帯に存在し、南半球は全て非核地帯となっています。)や、既にNPO法人「ピースデポ」等によって作成されたモデル案を参考として作成されています。条約の当事国としては、韓国、北朝鮮、日本の3カ国(地帯内国家)と、周辺の3つの核兵器国である米国、中国、ロシアの3カ国(近隣核兵器国)が登場してきます。


 この6か国は、北東アジア非核地帯条約」において、①日本の非核3原則(保有しない、製造しない、持ち込まない)を北東アジア地域全体で実現する、②地帯内国家の国内にある他国の軍事施設(例、在日米軍基地)も対象とする、③被爆体験の継承と核軍縮教育の義務を定めることとしていますが、その他に④近隣核兵器国は地帯内国家に核使用や核による威嚇をしないという意味での『消極的安全保証』を行うという方式、すなわちスリー・プラス・スリーの方式」を採っているのが特徴です。


(条約案の普及)


 「北東アジア非核地帯条約案」を長崎で発表した後、私たちは、色々な機会を捕まえて、国際的にもアピールして来ました。08年11月末には、韓国で、韓国の国会議員団やNPOの方々とこの条約案について意見交換し、その翌年2月には、韓国の国会議員団を日本に迎えて、北東アジアの非核化を進めるための「共同声明」を発出しました。その年の5月にニューヨークの国連本部で開催されたNPT再検討会議準備委員会の関連行事においても、私がこの条約案を紹介すると共に、各国から参加された皆さんと意見交換も行っています。


 昨年、5年に一度のNPT再検討会議が国連本部で行われた際も、再検討会議の関連行事として開催された「非核地帯に関する市民社会フォーラム」やNGO主催ワークショップ「北東アジア非核地帯」において、「北東アジア非核地帯条約案」に関して意見交換を行っています。残念ながら、日本政府を含めどの国の代表者も、公式の会議の場で「北東アジア非核地帯条約案」について言及しないために、NPT再検討会議の公式文書において引用されることはありませんでしたが、会議出席者の認識は随分高まったと思っています。


 一方、国内においても、「北東アジア非核地帯条約案」に関する認識は、徐々にではありますが広がってきていると思います。09年5月の民主党代表選挙では、鳩山由紀夫候補も岡田克也候補も、北東アジアの非核地帯化をその公約の中に入れていましたし、同年8月の衆議院議員総選挙や昨年7月の参議院議員選挙においても、民主党のマニフェストの中に「北東アジアの非核化」が入っています。先日(3日)は、北東アジア非核兵器地帯化を支持する103名の自治体首長さんたちの署名簿を、田上長崎市長が代表して松本外務大臣に提出しています(私も、同席しました。)。


(条約案の今後)


 本条約については、「北朝鮮が、自らの核放棄の代償として、核兵器使用禁止に加え、米国の通常兵器による攻撃が行われないという保証や、在韓米軍の削減等を求めてくる可能性がある」という理由から、北朝鮮の非核化終了後に交渉を進めるべきであるとの意見があることも事実です。確かに、本条約の交渉は、6者協議によって北朝鮮の核施設の無能力化等の非核化が確認された後に行われざるを得ないとも考えられます。


 しかし、本条約によって、北朝鮮のみが非核化の義務を負うのではなく、韓国と日本も非核化の義務を負うと共に、周辺核兵器国である米・中・ロも北東アジア地域に対する核使用等を禁止されることが提案されることになるのだということを早い段階で公にしておくことも大事だと思います。「北東アジア非核地帯条約案」は、北朝鮮にとっても、自国の安全保障の観点から魅力はあり、6者協議の進展にも資するものと考えますが、如何でしょうか。