今日と明日の二日間をかけて、東日本大震災でひどく被災した岩手県内の市・町を
訪問しますが、今日はその内、岩泉町、宮古市、山田町、大槌町と遠野市を訪問しま
した。


 東北新幹線が東京駅からまだ福島駅までしか通じていない状況ですので、現地を訪れ
るために今日は航空便で花巻空港まで行き、そこから車で約3時間かけて岩泉町、宮
古市に向かいました。途中、岩泉町(死者6名、家屋全壊130)の伊達町長の案内で、
海と小本川とを隔てる水門を訪れましたが、3月11日の津波は、高さ10メートル
はあろうかというこの水門を越えて、周辺の地域に被害を与えていました。


 最初に訪れたのは、宮古市(死者400人、行方不明682名、家屋全壊3669)の田老地区
にある災害対策本部と避難所です。対策本部では、伊達町長、田野畑村(死者14名、
行方不明24名、家屋全壊209)の上机村長、佐藤・宮古市農業課長さんたちから説明
や要望を聞かせてもらいましたが、その多くは、「復旧のための予算の裏付けが早く
欲しい」、「仮設住宅を早く建設してほしい」、「補助金や起債した資金で作ったも
のがなくなって借金だけが残った。何とかしてほしい」、「漁業が壊滅的な状況で、
全面的な支援をお願いしたい」などの切実な訴えでした。


 避難所に隣接している多目的運動場には、仮設住宅300戸を建てる工事が進められ
ていました。最も早く進められている仮設住宅工事の一つで、来月初めには入居でき
る予定だそうです。長屋風の造りですが、1DK、2DK、3DKのタイプがあるそうで、2DK
で、広さが約30平米あり建設費用は200万から300万円くらいだそうです。高齢者や幼
児がいる世帯が優先して入居することになるようですが、地域社会との絆が切れない
ような入居の仕方も検討する必要があると思います。


 次に訪れたのは、山田町(死者533名、行方不明378名、家屋全壊2513)の町役場(災
害対策本部)です。山田町は、漁業の盛んな町ですが、カキ、ホタテの養殖施設が壊
滅しました。自分の家も津波で失った沼崎町長は、「国は、補正予算で緊急雇用対策
を実施してほしい」、「『高台に移る』など災害に強い街づくりの基本構想の選択肢
を示してほしい」、「基幹産業である漁業再建策を早く作ってほしい」などの要望
を、冷静ではあっても切実に訴えておられました。新たな借金をしての漁船、養殖施
設の取得は、高齢者の漁家が多いため借金の返済が困難ではないかという課題があり
ます。明日は、鹿野・農水大臣も視察に訪れるそうです。


 次に訪れたのは、大槌町(死者600人、行方不明1006名、家屋全壊は数字もつかめな
い位多数です)の災害対策本部兼避難所が置かれている中央公民館です。大槌町は、
地震発生直後に町役場の地震対策会議を開いていたところを津波に襲われ、加藤町長
さんを始め34人(町役場の職員の24%)の職員が死亡・行方不明となった町です。こ
れまでに訪れた市・町に比べても、瓦礫の処理がほとんど進んでいませんでした。応
接して戴いた東梅・副町長、平野・総務課長さんも、現状多くの問題を抱え、これか
ら取り組まなければならない課題の大きさに困っておられました。仮設住宅の建設、
公共下水や防災行政無線の復旧、瓦礫処理のための仮置場確保、5校の小中学校の再
建、漁家・水産加工場の救済、宮古・釜石間の鉄道復旧など、多くの難問題がありま
す。


 今日の最後に訪れたのは、遠野市(行方不明2名)の市役所です。遠野市は、それ自
身には大きな人的被害はなく、私が大震災後に岩手県内の被災市町村の首長さんたち
に電話連絡をしたときに一番早く(12日14:15)接触できた自治体です。しか
し、市役所、医療福祉施設、文教施設などには大きな物的損害を受けたにも拘らず、
沿岸部の被災市町村を支援するための拠点となっています。支援の拠点となることに
ついては、本田市長の強いリーダーシップがあったと思います。遠野市の調べによれ
ば、遠野市内には現在、市外の避難者の受入れ約500名、後方支援活動を行ってい
る組織等の人員3000人強、活動拠点を置く組織等約170、その人員4100人
強おられるそうです。これから沿岸部が復旧、復興する段階でも遠野市の役割は重要
になってくると思います。


 今日は、大災害に見舞われながらも、懸命に、生き、復旧・復興しようとしている
人々の姿を見て、改めて、人間のすばらしさを感じた次第です。


平岡 秀夫