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  本日、山口市内のホテルで、
今年7月に行われる予定の参議院議員通常選挙の山口県選挙区の候補予定者決定の記者会見が行われました。候補予定者に決定したのは、俳優の原田大二郎氏(66歳)であり、記者会見には、原田氏のほか、民主党の小沢一郎幹事長、連合山口の中野威会長、そして、民主党山口県連代表の私が臨みました。

 既にご承知のことと思いますが、昨年11月に、民主党山口県連としては、公募によって選んだ3人の人を党本部に推薦し、「県連から推薦した3人に加えて、現在行われている党本部の公募に応募した人や、党本部の人脈の中で繋がりのある人の中から、選挙に勝てる人を選んでほしい。今後の選定作業は、党本部に一任したい。」と申し出ていました。

 その後、党本部も幹事長室を中心に、「勝てる候補」の選定作業に鋭意取り組んでくれていたわけですが、幹事長の「政治とカネ」の問題で候補者選定作業が滞ってしまったり、相手方の都合で調整がうまく行かなかったりで、残念ながら、今日まで候補予定者が決まりませんでした。ただし、この間の事情は、党本部が中心に選定作業を行っていたので私には詳しいことは分かりません。

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しかしながら、本日、記者発表した原田大二郎氏は、高校を卒業するまで山口県内で育ち、山口県の「ふるさと大使」第1号を努めるなど、山口県に深い関わりを持った人生を歩むんで来られた方であり、私が改めて説明するまでもなく、俳優としても1970年に映画「裸の十九才」でデビューして以来大活躍して来られた方です。

 本日の記者会見で、記者から小沢幹事長に対し「タレント候補であることについてどう考えているか。」という質問がありましたが、原田氏は、そんな指摘を意に介することなく、「民主党から誘いがあるのを待っていた。俳優になっていなければ、大学卒業後は故郷に帰っていずれバッジを付けていたと思う。順風満帆な時に出るのは性に合わない。厳しいときこそ遣り甲斐を感じる。」と言って、政治家になることに大きな熱意を示していました。

 小沢幹事長は、山口県選挙区で原田氏が候補予定者に決定したことについて、「自民王国、保守王国で闘うことは大変厳しいが、原田氏で勝てなければ、勝てる候補者はいないのではないか。最重点選挙区として、党本部でも最大限の力を注ぐつもりだし、民主党山口県連も連合山口もしっかり支援してくれると思う。」と述べていましたし、県連代表である私も、連合山口中野会長も、最大限の努力をすることを約束しました。

 いずれにしても、選挙までは時間がありません。いくら知名度が高くても、これまで運動をしていなかったハンディーは大きいと思います。そこで参考となるのは、6年前に、今現職となっている岸信夫氏(今回の自民党公認候補予定者です。)と参議院山口県選挙区で闘った大泉博子氏(現在、茨城県選出の衆議院議員)の闘い方です。

 大泉氏は、山口県で最初の女性副知事となり、直前の衆議院総選挙で山口第1区の民主党公認候補者となっており、山口県内では相当の知名度を持っていたのですが、参議院議員選挙への出馬はやはり選挙の直前となっていました。そこで、大泉氏は、県内数百箇所での辻立ち説法を行うことを決意し、それを実行して行ったのです。一時は、「岸氏をリードしたのではないか。」とも言われたのですが、岸氏の実兄である安倍晋三衆議院議員(当時:自民党幹事長)の意地で、36万票対31万票で敗れてしまいました。

 今回は、6年前の教訓を活かして今後の活動方針を立て、必勝を期したいと思います。昨年の総選挙で政権交代はありましたが、山口県では、総選挙の結果も厳しく、未だに「政権交代をした」という実感が湧かないのが山口県民の率直な気持ちだと思います。今回の参議院議員選挙の勝利によって、政権交代の実感を山口県民の皆さんにも味わってもらいたいと思っています。

 (ところで、久しぶりの「今日の一言」となりました。(5月7日付の「今日の一言」は、ニューヨークで書いた原稿を、秘書に頼んで掲載してもらったものです。)久しぶりとなったのは、私のパソコンが故障して修理に出していたのですが、何分古いパソコンでしたので修理等に大変時間がかかったためです。お詫び申し上げるとともに、これからは、これまでと同様のペースで書くつもりですので、引き続きご愛読のほどお願い申し上げます。)