最近、民主党・小沢幹事長の「政治とカネ」を巡る事件(以下、「小沢事件」と言います。)の捜査に関連して、「取調べの可視化」法案が話題になっています。「取調べの可視化」とは、警察・検察がその取調室の中で被疑者を取り調べている様子を最初から最後まですべてビデオ等で録画することを言います。既に、英、仏、米の一部の州、伊、韓国、香港等で導入されているのですが、我が国ではここ10年近く導入の是非を巡って議論が続いています。

 小沢事件に関連して言及された「取調べの可視化」については、二つのことが話題になっています。その一つは、民主党が従来から「取調べの可視化」法の成立に熱心なので、検察が民主党政権に揺さぶりをかけてその動きを止めさせようとして小沢事件を取上げているというものであり、もう一つは、民主党が「取調べの可視化」法案をちらつかせることで、小沢事件を捜査している検察に圧力をかけようとしている、と言うものです。

 「取調べの可視化」を立法化しようとして努力してきた私たちにとっては、「取調べの可視化」法案に国民の皆さんの関心が集まるのは嬉しいことなのですが、上記のように、政局がらみで「取調べの可視化」が取上げられるのは不本意です。私は、上記の2つの話題は、話を面白くしようとしている人が作った話であって、「真実ではない」と思っています。国民の皆さんには、もっと政策的な観点から「取調べの可視化」の問題を考えて欲しいと思っています。

 ところで、「取調べの可視化」については、03年7月の参議院法務委員会の付帯決議で「取調べ状況の客観的信用性担保のための可視化等を含めた制度・運用について検討を進めること」とされ、04年3月には取調べの可視化に関する条項を追加した刑事訴訟法改正法案を民主党が衆議院に提出したほど、歴史があります。更に、一昨年と昨年の通常国会の2度にわたって、「取調べの可視化」法案は既に可決されているのです。

 そこで、なぜ「取調べの可視化」が必要かの理由を説明します。第一の理由は、自白強要による冤罪(えんざい)事件を防止することにあります。近年の自白強要による冤罪事件としては、「志布志事件」(03年4月の鹿児島県議会議員選挙の選挙違反の取調べの際、踏み字を迫って自白させた)、「氷見事件」(富山県氷見市の強姦事件で虚偽自白させられた男性が有罪となったが、後に真犯人が発見されて07年10月再審無罪となった)が有名です。

 特に、現在も再審の裁判が行われている足利事件(90年5月の女児殺人事件で逮捕された菅家利和さんが、自白とDNA鑑定結果に基づいて有罪(無期懲役)となったが、再鑑定の結果、菅家さんのDNAと犯人のDNAが一致しないことが判明し、06年6月に刑の執行停止、再審開始となった。)では、検事による取調べの状況を録音したテープがあろことが判明し、その録音テープが、取調べの様子を良く示しているものと注目されています。

 「取調べの可視化」が必要な第二の理由は、自白の任意性を巡る裁判の長期化を防止することにあります。有名な「リクルート事件」の裁判では、89年12月の初公判から13年以上の審理期間(322回の公判)がかかりましたが、公判審理の多くは、被告人や関連証人のの供述調書の任意性・信用性の立証に費やされました。昨年5月から始まった裁判員裁判で同じようなことが起こることは、裁判員の負担を考えると、避けなければなりません。

 捜査当局は、「取調べの可視化は、取調官と被疑者との間の信頼関係が築けなくなって、事案の真相解明が困難になる」、「暴力団事件では、可視化で、自白した様子が明らかになり、暴力団の報復を招き易くなる」、「取調べの可視化を導入すると、犯罪者を見逃すことが多くなり、治安が悪化する」等主張して反対していますが、果たしてそれが本当なのか、或いは、そうした事を乗り越える方法はないのか、真剣に検討してみる必要があると思います。

 「取調べの可視化」については、こうしたことを冷静に検討することが望まれるのであって、政局がらみで取り扱われることは決して好ましくないと考えています。