岩波書店の月刊誌「世界」が主催した座談会の模様が、「世界」2月号に掲載されました。「『政治主導』と国会改革」と題する座談会ですが、私の他に、高見勝利・上智大学教授と根本清樹・朝日新聞論説委員の3人が昨年の12月に行ったものです。以下、私の発言を中心に適宜省略しながらご紹介いたしますが、興味のある方は、是非、「世界」2月号を読んで下さるようお願いします。

高見】(民主党の「政治主導の政治」や「国会改革」への動きを紹介)

 

政府参考人制度の廃止について

高見】 九九年の改革以降、法案にかかわる専門技術的な事項に関しては、役人のほうから政府参考人として説明してもらう制度を衆議院・参議院の議員規則で運用してきたわけです。つまり、政策的な話は大臣、副大臣等が行うという一応の仕分けはあった。今回その仕分けもここで外してしまい、もっぱら大臣、副大臣、政務官の三者で国会の審議を行う制度に変えようということですが、いかがでしょうか。

【平岡】 私も官僚出身ですから、最近の官僚は国民の視点を失ってきているのではないかということは感ずるし、官僚の隠蔽体質による弊害も出てきた。こういう状況のなかで、国民から選ばれた政治家が中心になって日本の政治を考えていくことは大変大事なことだと思うし、政治家主導の政治が行われることを担保していくような制度の見直しも、当然必要であると私は思います。国会の運営を見ていると、政府委員制度を廃止し、政府参考人制度にしましたが、やはり政府参考人頼りになってしまっている政治家もたくさんいたということで、政府参考人を制限していく発想もよく理解できます。

 しかし、日本の国会には、これまでのいろいろな歴史があります。特に今回の政府参考人制度の廃止については、共産党とか、社民党とか、どちらかといえば小さい政党の人たちから批判があることを考えてみると、日本の国会は、政策を語る政治家と事実関係について事細かに掌握している官僚とが合わさることで、いろいろな細かい点もチェックしながら議論できるという、ある意味ではいい面もあったと思うんです。それがいまの案でいくと、政治家と官僚とが全く分離された形で議論が行われることになり、果して実のある議論といいますか、細かい事実関係も踏まえた議論ができるのだろうか。少なくとも国会運営についていえば、委員会の委員長がしっかりとした議事運営をすれば、制度的にはいまのままでも、十分な議論ができるのではないか。


【平岡】 よく言われることですが、「選挙のない政治家、国会のない官僚ほど楽なものはない」()

【高見】(イギリスでの国会の議論の状況を説明)

【平岡】 イギリスの場合は、政治家同士で議論をするという過程を経て、本当に大臣になれる人なのか、リーダーシップのとれる政治家なのかを選別していく機能もあると聞いたことがあります。日本もそうなればいいんでしょうけれども、いま急に変えて、果してちゃんとやれるかというと、そういう訓練が十分にできていないかもしれませんね。

 

 内閣法制局長官の国会答弁の禁止

 【高見】(民主党による内閣法制局長官の国会答弁の禁止の動きについて説明)

【平岡】 私も内閣法制局で働いた経験があるので、内閣法制局がどういうところなのか、自分なりに評価があって、こういう組織はどんな組織においても絶対に必要である。ただし、自分はやりたくない(笑)というのが率直な感想です。

 物事を進めたり、まとめるときには、やはり論理性がしっかりと維持されていなければいけない。間違いがあってはいけない。内閣の組織の中でそういう役割を果たしているのが、内閣法制局であると私は思っていたのです。もし内閣法制局長官が国会で答弁できるようにするのだったら、法制局長官を大臣ポストに変える手もあるだろうと思うのですが、それをしないでいるということは、やはり内閣法制局長官にふさわしい能力は政治家とは違う、その専門性を生かした立場での答弁というのは、あってもいいと思うんです。

ただ、国会答弁ができなくなるからといって何か弊害があるかと言われると、法制局あるいは内閣法制局長官が、政府の統一見解をつくる際に、いままでと同様、内閣の法律問題に対して意見を述べる権限を持っているのであれば、それはそれでいいのではないか。国会で政府統一見解と違う答弁をしたときは、これまでも撤回させられたり、修正させられたりしているんです。

 ですから国会で内閣法制局長官が答弁できなくなったからといって、すぐにいろいろなこれまでの憲法解釈が変わるというものではない。しかし、これが契機となって、国会でなし崩し的に勝手な政治家の答弁が行われて、それが積み重ねられることによって政府統一見解も変わっていくようなことになってしまうと、問題があるのではないかとは思います。

【根本】 私も、答弁するかしないか自体が重大問題ではないと思います。平岡さんがおっしゃったような内閣法制局やその長官がいままで果してきた役割が引き続き担われて、政治家の側がそれを活用するということであれば、どちらでもいいという感じがします。むしろ禁止しなければいかんという小沢さんの議論にいささか疑問を持つというか、長官に発言させて何か具合の悪いことでもあるのかなと思います。

【平岡】 小沢幹事長にしてみれば、政治家が答弁するときは、憲法に関する政府の統一見解をよく勉強した上で答弁しろと政治家を叱咤していると言えなくもないかなとは思いますけれども、それはちょっと好意的すぎる解釈かもしれません。


政府の憲法解釈

 【根本】(憲法解釈の変更についての平野官房長官や仙谷行政刷新大臣の発言を紹介)

【平岡】 憲法裁判所の話は、いずれにしても憲法改正をしなければできない話なので、憲法裁判所がない前提で言えば、官房長官が言った「政治判断で解釈していく」というのは、それを前提にして法律をつくって、憲法との整合性を問われたときに最終的に権限を持って判断をするのは裁判所になる。そのときに、この法案は違憲である、この行政権の行使は違憲であるという判断が出るとしたら、非常に法的安定性を壊すことになってしまう。

 やはりどんな政権であれ、憲法の解釈を裁判で争われたときに大丈夫なのかという検証はしていかなければいけない。まさに、そのことを事前にしてきたのが内閣法制局であるということを忘れてはいけないと思うんです。事後チェックでいいじゃないかという議論も当然ありますけれども、事後チェックの場合には当然裁判があり、その中での混乱がある。それを防ごうとしてきたのが内閣法制局であったと評価すべきではないかと思います。

【高見】(アメリカやカナダにおける最高裁判所が勧告的意見を述べる制度、フィンランドにおける国会の中に設けられた憲法委員会制度の紹介)

【平岡】フィンランドの憲法委員会は一つのアイデアかなという感じはします。ただ、憲法委員会で議員が議論するにしても、そのバックにはちゃんとそれを支える、いわゆる法務官僚のような人たちがいないと、なかなか機能しないかもしれませんね。


九条解釈をめぐって

【高見】(政治家主導の憲法九条解釈の問題点を指摘)


平岡】小沢幹事長が仮に憲法解釈を変えようとしているのだとしたら、集団的自衛権の行使ではなくて、国連決議に基づく、いわゆる集団安全保障と言われる世界ですね。

私も小沢理論に詳しくはありませんが、小沢理論でいくと、国連決議がある場合は、これは日本の国の主権の行使に基づく武力の行使ではないので、憲法九条は予定していないところなのだという展開になるのでしょう。

 これについては、いままでの内閣法制局も解釈をしておりまして、国連決議があったとしても、派遣された日本の部隊、例えば自衛隊の行為そのものが武力の行使に当たる場合には憲法は禁じるところであるということになっている。いまの法制局のもとでは、その解釈は変わらない。そこを何とか変えられないかと考えている可能性はあるかもしれないとは思いますけれども。

【根本】いずれにしても、これまでの政府解釈を変更することになると、そんなに簡単にはいかないでしょう。法制局は頑として首を縦には振らないと思います。歴代法制局長官の答弁を見ても、特に国会における議論の積み重ねを経て確立され、定着しているような解釈については、政府がこれを基本的に変更することは困難であると繰り返し言っていますし、変更するなら憲法を改正してくれというのが歴代長官の考えのようですので、そう簡単に解釈変更できないと思います。

【平岡】 まさにおっしゃるとおりだと私も思います。それで思い出したのは、政権マグナ・カルタというのを小沢幹事長が代表時代につくったときに、そこにそれらしきことが頭出しされているんです。「国連の平和活動は、国連憲章第四二条によるものも含めて、国連の要請に基づいて、我が国の主体的判断と民主的統制の下に積極的に参加する」というくだりがあるんです。それはまさに国連決議がある場合の集団安全保障として、日本の自衛隊が海外に行って活動する場面を一応想定している文章だと一般的には言われていますね。

 これは文章ですから、我々から見たらこういうふうに読めます、こっちから見ればこういうふうに読めますねということで、一般的に言われていることが統一見解だとは思っていないですけれども、これからの政治の流れの中で、それがいつ具体的に頭をもたげてくるかというのは、それなりに可能性としてはあるんじゃないかなと思いますね。


 政府・与党の一元化について

【高見】政府が政策の作成を一元化していく場合に、政府に入っていない与党議員は一体どういう役割を果たすのでしょうか。従来のやり方を根本的に変えようとしていることはわかるんですけれども、それだけで政策形成がうまく機能するのかなという疑問があるんですけれども、いかがですか。

【平岡】なかなか難しい課題ですね。自民党時代の与党の了承がなければ内閣は国会に法案を提出できないという事前審査制に弊害があることも、そうだと思いますけれども、議院内閣制のもとで、内閣が出した法案を与党が国会で否決するとか大幅に変えてしまう事態が発生することは、政権維持という意味からはなかなか難しい。今回やろうとしていることは、自民党政権時代の二元的な意思決定の弊害というものを考えたときの一つの試行錯誤的な案であろうかと思います。

 ただ、実際に私はいま政府に入っていない、「他の与党議員」という立場ですけれども、かなり不満はありますね。いくら私たちが立派な意見を言っても、意思決定に直接かかわれなくて、それを副大臣が聞いて、大臣と一緒に政務三役というところで意思決定するときの参考意見にされるものでしかない。最後に政府が閣議で意思決定するときには、もしかしたら私の意見は入っていないかもしれない。そういう立場に置かれた私は、これから与党議員としてどういう行動をとったらいいのか、悩み深い問題だと思います。

【高見】 問題は、党議拘束との絡みですね。一方で一元化と言いながら、他方で国会の活性化ということで、党議拘束は最後にかける。そして事前審査は廃止するという仕組みを見ていると、国会での、いわば政府の提出法案の修正機能をかなり重視しているとも考えられるわけです。

【平岡】 一方で、こういう言い方もどこかでされていたと思うんです。国会というのは政府・与党対野党の戦いだと。
【根本】 それは小沢さんの発言ですね。

【平岡】 その構図でいくと、与党は質問しなくてもいいということにもなるわけです。いま高見先生が言われたように、委員会で与野党ともにしっかりと政治家同士の議論をして、よりよいものに修正もして、その時点で最後に党議拘束を決めていくというような形でやっていけばいい。私も、それは一つの解決策だと思いますけれども、その考え方と国会は政府・与党対野党の戦いなのだという発想とはちょっと違うような気がするので、その辺はまだ試行錯誤的な状況にあるのかという気もしますね。

【根本】 いまおっしゃった部分は、詰めるべき最大のポイントかもしれませんね。何か矛盾するベクトルなんです。菅さんが繰り返し言っている、三権分立ではなくて、多数党は行政権と立法権の両方を握っている。だから政府・与党一元化なんだということもよくわかる。しかし、一方で与党修正も盛んにしましょうというのは、ちょっとベクトルが違いますね。小沢さん的な政府・与党、要するに、政府vs国会ではなくて、政府・与党vs野党なのだ。だから与党は質問するなということと与党修正との関係は一体どうなるのか。

【平岡】 いろいろお話を伺っていて、解決の一つの道は、政府・与党の一元的な意思決定のもとで法案は提出されるけれども、委員会でしっかりと議論して、実のある国会論議が行われて、その結果としての修正も当然あり得る、その時点で、与党としてはどう判断するかということをして、党議拘束をかけるというのがいちばん素直な感じがします。

 イギリスの国会議員は、どちらかというと党に所属しているという意識が非常に強くて、選挙区なんかもどんどん変えさせられるでしょう。日本はむしろ議員の独立性というか、自主的判断というものがかなり働いてきた政治の歴史がありますから、さっき言ったような方式は、日本の国会議員のメンタリティにも合っているんじゃないかという感じがしますね。