昨日の民主党・常任幹事会で、小沢幹事長を本部長とする「政冶改革推進本部」が立ち上げられることが報告されました。この「政冶改革推進本部」では、国会改革、選挙制度改革、政治資金規制の改革など幅広い政治改革を取上げることになるようですが、小沢幹事長は、既に先月16日、「新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)」に対して、これらの改革に関する幾つかの諮問を行っています。

 21世紀臨調への諮問事項については、「国会審議の活性化」に関するものの一部について、今月4日に第1次提言が出されています。その中で、「政府参考人制度を廃止して、国会議員同士による審議に改めること」の諮問については、「『議案審査会(法案審査をする委員会)』においては、政府参考人を招致せず、政府特別補佐人等についても、主任の大臣がない案件について当事者として意見を述べる観点からの出席に限定する」と提言されました。

 つまり、提言でも、国会での審議は政治家である国会議員(主に国会議員が就任する大臣、副大臣、大臣政務官を含みます。)同士で行うべきである、とされたのです。なお、提言に示された「政府参考人」とは、各省庁の局長、審議官、課長などを指し、「政府特別補佐人」とは、内閣法制局長官、公正取引委員会委員長、人事院総裁等を指します。そして、政府特別補佐人のうち問題となっているのは、内閣法制局長官の取扱いです。

 と言うのは、小沢幹事長は、公正取引委員会委員長や人事院総裁が官僚であるにも拘わらず答弁することを否定していない一方、「内閣法制局長官は官僚だから、答弁者には入らない」と言っているからです。この関係でよく言われているのが、「小沢幹事長は、内閣法制局長官を国会で答弁させないことによって、憲法第9条のこれまでの政府統一見解を変えようとしているのではないか。」との指摘です。

 しかしながら、この指摘は、的外れであると私は考えています。その理由は、次の通りです。

 先ず、内閣法制局長官の答弁の性格は何なのかです。
内閣法制局の所掌事務は、基本的に、内閣又は大臣等に対して法律問題に関し意見を述べること等にあります。従って、国会で内閣法制局長官が政府特別補佐人として答弁していることは、あくまでも、内閣の中で述べている内閣法制局の意見等を説明しているに過ぎないのです。逆に言えば、内閣法制局長官の答弁は、最高裁判所の違憲立法審査権(憲法第81条)のように、法的拘束力を持つ憲法判断を示しているわけではないのです。

 内閣法制局長官の答弁の法的性格がそのようなものであれば、各省庁の大臣等は、自らの所管事項について内閣法制局長官に答弁させずに自分で答えることが認めらるということを意味していると考えられます。そのことを前提として、
仮に、内閣法制局長官が、国会法の改正等により国会で答弁できなくなった場合、どのようなことになるかを考えてみましょう。

 例えば、
各大臣は、自ら所管する政策分野に関して憲法判断を求められた時は、自ら答弁することは法的に何ら問題はなく、自ら答弁することができます。現在でも、必要に応じ、関係各大臣が国会で憲法解釈に関する答弁していることがあるのです。なお、いずれの大臣も所管していない政策分野については、内閣総理大臣又は官房長官が答弁することになると思います。

 そこで、問題は、
各大臣の答弁が、政府統一見解(例えば、その閣議決定に当たり内閣法制局が実務的にチェックしている質問主意書の答弁書に示された見解)と異なることとなるケースです。このようなケースは、実はこれまでも何度かあったことですが、結局、政府統一見解と異なった答弁をした大臣は、その後、その答弁を撤回、修正等させられています。

 このことから言えば、
各大臣は、自らの憲法判断を何らの制約なく答弁することができるわけではなく、政府の(あるべき)統一見解をよく承知した上で答弁することが求められると言えそうです。要は、内閣法制局長官が国会で答弁できなくなることは、それほど大きな問題ではなく、むしろ問題は、政府統一見解を示す場合に、内閣法制局の意見が内閣の中でどれだけ尊重されるのかにあると考えられます。