本日、衆議院が解散されました。衆議院の第44回総選挙が、4年前の05年9月11日に行われていますので、ほとんど任期満了選挙と同じ時期での解散・総選挙となりました。この間、前回総選挙当時の小泉純一郎総理から、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と総理が1年ごとに変わり、その都度、「国民の信を問え」と要求し続けてきましたが、「ようやく」、国民の信を問う総選挙が行われることになったわけです。

 衆議院の解散は、「憲法第7条の規定(天皇の国事行為)」に基づいて行われました。「内閣の助言と承認により」天皇陛下が解散詔書に署名され、その詔書が、衆議院本会議場で、内閣官房長官の手を経て衆議院議長に渡され、衆議院議長により朗読されて、衆議院が解散されました。その直後に開かれた臨時閣議で、第45回総選挙は、「来月18日公示、30日投票」と決定されました。

 総選挙で政権交代があれば、ある意味では、衆議院解散のあった本日は「歴史的な1日」ですので、私が見聞きした本日1日を一緒に振返ってみたいと思います。
 
 本日午前8時の定例閣議で、衆議院の解散が閣議決定されました。東京都議会議員選挙等の地方選挙の総括をする自民党の両院議員総会の開催を求めていた与謝野財務大臣や石破農水大臣も、解散の閣議書に署名をしました。その後、民主党では午前11時から両院議員総会が、自民党では午前11時半から両院議員懇談会が、夫々開催されました。

 民主党の両院議員総会は、鳩山代表の挨拶で「今回の総選挙は、大きな革命的な総選挙である」旨が宣言され、、正に、「いざ、決戦」というムードでした。鳩山代表の挨拶の後は、岡田幹事長から、「マニフェストは、今月中に代表が発表する。政調スタッフが党本部で質問対応する。」等の事務連絡、3名の引退議員(藤井裕久、岩国哲人、金田誠一)の紹介が行われ、菅代表代行の音頭による「頑張ろう三唱」で幕を閉じました。

 自民党の両院議員懇談会の模様は、ニュース専門テレビの画面で見ました。当初「マスコミ非公開」と言われていましたが、自民党執行部は妥協したようです。多くの議員が発言していましたが、「地方選挙の総括」と言うより、「総選挙に向けての民主党への批判」が多かったように思います。最後に、消化不良的な状況のまま、麻生総理が「総括」を求められて発言しましたが、涙ぐんだ表情で、自民党の結束を訴えていました。

 午後1時からの本会議の前には、いつも通りの「代議士会」が約15分間開催されました。議会運営委員会の野党筆頭理事である玄葉議員から、本会議の議事運営が説明されましたが、議員による恒例の「万歳三唱」については、何も説明されていません。「今度国会に帰ってくるときは、今の2倍の部屋で代議士会をやりましょう」との小平代議士会長の言葉で、代議士会は終了しました。

 本会議では、前述した手続で、衆議院議長により解散詔書が朗読されると、本会議場では「万歳三唱」が行われました。「万歳三唱」が行われる理由は良く判りませんが、一説によると、衆議院議長によって解散が伝えられると、本会議の「閉会」を宣言する権限を有する人がいなくなるので、「万歳三唱」で締めくくることになったのだそうです。因みに、私は、「万歳三唱」は解散のときの緊張感に似合わない気がして、「万歳三唱」を行っていません。

 本会議終了後、民主党では、党本部で「公認証授与式」が行われました。公認される人の数が多いので、現職組と新人・元職組に分かれて行われましたが、3人の代表代行、幹事長立会いの下、鳩山代表から各人に「公認証」が手渡されました。その後、別室で、各人の公認料が渡されました。公認証授与式も、公認料の手渡しも、私にとっては初めてのことでしたが、「いざ、出陣」というムードは高まったように思います。

 その後、各公認候補者は、地元選挙区へと帰っていきましたが、私は、東京でお世話になっている「平岡秀夫・東京後援会」の皆さんと懇談会を行いました。先週の月曜日に、「一週間後の解散」が予告されて急遽呼びかけての懇談会の開催でしたので、10数名の出席に止まりましたが、集まった皆さんからは大いに励ましの言葉を戴きました。懇談会終了後、いつも愛用している夜行列車「サンライズ」で、午後10時東京を後にしました。

 昨年4月27日に行われた全国統一国政補欠選挙で全国でたった1箇所の補欠選挙が、私の選挙区・山口第二区でありました。その補欠選挙で、私は、「チェンジ日本、山口2区から日本を変える」とのキャッチフレーズで闘い、勝利しましたが、残念ながら、たった一議席の闘いでしたので「チェンジ日本」は実現しませんでした。しかし、「チェンジ日本」の大きな流れが始まったと自負しています。そして、その集大成が、今回の総選挙だと思っています。