本日から、裁判員制度がスタートしました。「裁判員制度」とは、「個別の事件について、一般の国民から選ばれた6人の裁判員が、地方裁判所で行われる刑事裁判(第1審)に参加し、3人の専門家裁判官と一緒に、被告人が有罪か無罪か、有罪の場合はどのような刑にするのかを決める制度」です。1928年から約14年間「陪審裁判」がありましたが、実施例も少なく、我が国では本格的な「国民参加の裁判」制度が始まったことになります。

 この「裁判員制度」については、国会議員の中にも、制度の凍結・延期を目指す超党派の議員連盟ができており、裁判員制度の問題点として指摘している主な点は、後で触れることとします。確かに、制度をより良いものとするための改善は今後とも必要ですが、私は、裁判員制度は、司法の面でも国民が主権者であることを示し、専門家に独占されてきた日本の司法制度をより開かれたものとするためにも、できる限り早期にスタートさせるべきと思っています。

 ところで、現在も進められている司法制度改革は、1999年7月小渕内閣が司法制度改革審議会を設置したことから本格的に始まりました。2001年2月に出された審議会の中間報告で、「裁判員制度」の導入が提言され、同年6月の最終報告で最終決定されています。ちょうどこの時期、私は、衆議院議員に初当選して1年未満の時期でしたが、同年3月に、民主党内で次の通りの意見を取りまとめる中心的役割を担いました。

司法制度改革審議会に対する「国民の司法参加」に関する提言ー抄

 
 
裁判手続きへの参加
 (1)
中間報告が、国民の司法参加の目的を「司法をより身近で開かれたものとし、裁判内容に社会常識を反映させて、司法に対する信頼を確保するなどの見地からも、必要である」としている点は、「司法の権威維持のための国民の司法参加」の考え方を潜在的に含んでいるものとして問題がないわけではないが、同じく、中間報告が、「他方、自律性と責任感をもって参加することが求められる国民の問題として見た場合、国民が、法曹とのコミュニケーションを通じて訴訟手続きに参加していく中で、その主体性をいかにして確保していくかという観点もまた重要である。」という認識の下で、「広く一般の国民が、裁判官とともに責任を分担しつつ協働し、訴訟手続きにおいて裁判内容の決定に主体的、実質的に関与していくことは、・・・必要であると考える。」としている点は、その考え方において高く評価することができる。

 (2)
先の司法制度改革審議会(1月30日)で、「わが国にふさわしいあるべき参加形態」の1つとして、裁判員制度が議論されたことが公表されているが、中間報告で示されているように、国民が「訴訟手続きの中でその主体性を確保」し、「裁判内容の決定に主体的、実質的に関与」していくためには、仮に「裁判員制度」を採用することとなる場合でも、次の要件を備えたものとすることを提言したい。

  
市民から選ばれる裁判員も評決権を有するものとし、併せて、裁判員の数は職業裁判官の数の2倍以上とすること(例えば、仏では、職業裁判官3人と市民裁判員9人)
   裁判員は広く国民一般から選出する制度とすること
   次のような犯罪については、法律専門家による助言を前提として、裁判員のみが事実認定(有罪か無罪か)に関して評決する制度とすること ・・・政治犯罪公務員の犯罪
表現の自由に関する犯罪』

 結局、04年5月に成立した「裁判員法」で規定された「裁判員制度」では、その対象事件は、殺人、傷害致死、危険運転致死罪、放火、身代金目的誘拐罪など一定の重大な犯罪に限定されましたが、私の意見は大筋取り入れられています。裁判員制度は、国民の司法手続き参加が「司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資する」(裁判員法1条)だけでなく、国民が主権者となってより良い社会を築こうという意識も生み出すものと思います。

 そこで、先にご紹介した現行「裁判員制度」の主な問題点ですが、次のようなものがあります。いずれも大事な指摘ですが、それ故に「制度自体を発足させない」と言うのではなく、「より良い制度を求めて改善に鋭意努力する」ことが必要であると思っています。

 第一は、裁判員を選任するに当たって、思想・信条の自由を侵害することになるのではないか、という指摘です。「私は、人を裁くことはできない」という信条を持っている人を、無理やり裁判員にさせて良いのか、と問うています。一応、「裁判員の職務で精神上の重大な不利益が生じる場合」には「裁判員の辞退」が認められることになっていますが、その判断をする裁判官はその見極めに苦労しそうです。適切な事例の積重ねが求められると思います。

 第二は、裁判員になった人に対する守秘義務が罰則付きで課されており、厳しすぎるのではないか、という指摘です。公開であるべき裁判所の現場での出来事は守秘義務の対象になっていませんが、他の裁判員の名前を教えたり、評議での意見を公にすれば、罰せられることになっています。この守秘義務は、裁判の公正さやその信頼を確保すると共に、評議で自由な意見を言えるようにするために必要であると説明されています。

 しかし、守秘義務が余りに厳格に適用され過ぎると、裁判員制度自体或いはその運用で改善を要することについても口を封じられるということにもなりかねません。また、守秘義務が課される期間が一生涯となっているのも、問題がありそうです。守秘義務の対象となる事項に応じて、その守秘義務が課される期間を限定するということがあっても良いのではないかと考えます。

 第三は、裁判員制度では裁判期間が限られるために、冤罪(えんざい)が増えたり、真実の解明が疎かにされる危険が高いのではないか、との指摘です。これまでの重大な刑事事件は、確かに、第1審で判決が出るまでに何年も掛かっていました。慎重な審理をするためでしょうが、一般人の常識から言えば、逆に、時間が掛かりすぎているのではないかとの印象もあったと思います。それはそれで、被告人にとっても大きな負担となっていると思います。

 冤罪は、主に、自白偏重の捜査、裁判に原因があったのではないでしょうか。私達は、そのような視点から、他の先進国でも多く採用されている「取調べの可視化」の法案を提案してきました。参議院では可決されているのですが、与党が多数を占める衆議院では店ざらしにされています。

 しかし、警察や検察による取調べ調書では裁判員に対する説得力に欠けることが分ってくれば、必ず「取調べの可視化」への途が開かれると思います。「無罪の推定」や「疑わしきは、被告人の利益に」の原則を裁判員の皆さんにシッカリ認識してもらうことが、先ずは大切なのではないでしょうか。

 以上のような問題はありますが、早ければ7月下旬に裁判員制度での初めての裁判が行われます。裁判員制度が、「国民の司法参加」の本旨を全うできるよう、国民一人一人(1年間では、5000人に一人が裁判員又はその補充裁判員に選任される確率になっています。)が自覚を持って制度に参加していくことを切に希望するものです。