一昨日行われた柳井市長選挙と山口県議会議員補欠選挙に関し、本日付の全国紙の政治面に「王国にダブルパンチ」と題する記事が掲載されました。その記事の一節には、「自民党は、地方組織弱体化が指摘されて久しいが、1日開票された両選挙で共に民主党系候補に敗れた。」とありましたが、実は、市長選挙と県議補選とでは、支援の枠組みが異なっていました。県議補選の結果の方が、国政により影響を与えるものになったと思います。

 柳井市長選挙では、私の秘書を、東京事務所で3年間、地元事務所で2年半務めた井原健太郎氏が、当選しました。選挙戦は、井原氏が以上のような経歴を持ち、相手候補が前自民党山口県連幹事長の現職県会議員(1月20日辞職)であったため、マスコミでは、「民主党と自民党の対決」と表現しましたが、それは、余りにも表面的な見方であり、相手候補の戦略に乗せられた見方であったと思います。

 つまり、相手候補は、自らが辞職することによって行われることとなった県議補欠選挙が「自民党と民主党の対決」の枠組みになることを見込んで、市長選でもその枠組みにはめ込もうとしていたと思います。元来、柳井市では自民党支持が多数を占めてきた歴史的経緯から、候補者が、「市長選挙を『自民党と民主党の対決』の枠組みに持ち込めれば有利になる。」と考えても、何の不思議もありません。

 相手候補が、そうした戦略を採ったと考えられる根拠は幾つかあります。その一つは、自らの県議辞職を早い段階で行ったことです。昨年12月中旬に市長選出馬表明をした当時は、「告示日の立候補届けによる自然失職」を言っていたのが、今年1月中旬に、井原氏が市長選に出馬する可能性が高まってきたことが判明すると、突然、東京出張中の県議会議長宛に辞職願を出したのです。これにより、ほぼ市長選と県議補選の同日選挙が決まりました。

 もう一つは、2月7日、自民党籍のある現職市長が井原氏の選挙事務所開きに出席すると、相手候補は、同日の自民党山口県連幹事・支部長会合の場で、「現職市長は、来年の参議院選挙で、現職の自民党参議院議員の対抗馬になる可能性がある」と語ったことです(マスコミ記者からの情報)。つまり、現職市長の行動を「反自民党的行動で、民主党に近づこうとしている行動である」と指摘しようとしたのです。

 しかしながら、以上のような言動があったにも拘らず、実際の選挙戦は、「自民党と民主党の対決」とはならなかったように思います。と言うのは、井原氏の陣営には、現職市長が「井原陣営の支持者の人が相当数、県議選の自民党候補者陣営にも参加している。」と指摘したように、多くの自民党支持者が集まっていました。井原氏が決起集会でも貼り出していたように、井原氏支持者は、「市民党」の様相を呈していたと思います。

 他方、県議補欠選挙は、正に、文字通り、「自民党と民主党の対決」となったように思います。両候補共に、10年間の市会議員としての活動はありましたが、市会議員の活動は地域性が強く、全市的な知名度はそんなに高くなく、個人として選挙戦を戦うことは難しかったと思います。当選した河北洋子氏は民主党公認候補として、相手候補は自民党公認候補として、選挙戦を戦い、現職国会議員を含めそれぞれの党関係者も応援に駆けつけていました。

 正直言って、この選挙戦は、これまでの歴史的経緯からすれば、河北氏にとっては大変厳しい環境の下で行われました。歴史的には、山口県議会の県議選の一人区では、今まで自民党候補者以外の候補者が当選したことはありませんでしたし、更に、、柳井市がその一部となっている山口県第二区(岩国市、下松市、光市、柳井市など)では、私の知る限り、女性県会議員は今まで誕生したことがなかったと思います。

 柳井市の国政選挙の歴史も少しご紹介します。私は過去4回衆議院議員選挙を闘っていますが、2回目の選挙で少しだけ自民党候補者の得票を上回っただけで、後は票数で負けています。個人記名の選挙区選挙ではなく、政党名(又は、政党名か政党の名簿に記載された個人名)記名の衆議院選比例区、参議院比例区を見てみますと、前回選挙では、いずれも、自民党票が民主党票を上回っています。

 このような歴史的経緯の中で河北氏が当選したのですから、正に、「歴史的な勝利」であると思います。河北氏本人の頑張りも素晴らしかったと思いますし、河北氏を応援する人達の熱意も凄かったと思います。ただ、国政レベルでの麻生政権のだらしなさが、河北氏勝利の一因となっていることも事実だと思います。今年秋までに行われる総選挙がどのような政権の下で行われることになるのかが、選挙の結果を大きく左右するような気がします。