日本精神の研究 安岡正篤 著
上の本の❛永遠の今を愛する心❜という項目の
中で江戸前期の兵法家の大道寺友山の言葉を
引用して次のような記述があります。
・・・・・・・
過食大酒淫欲等(かしょくたいしゅいんよくとう)の
不養生を致し、脾腎の煩(わずらい)を仕出し、
思いの外(ほか)若死をも致し、たとい存命にても
何の用にも立たざる病者とはなり果候(はてそうろう)
・・・・・・・・・・
«脾腎の煩»に対して実力をだせないことを嘆く
ことと注釈があります。
中医学を勉強しているのでこの言葉に注目して
しまいました。
中医学をある程度勉強していなければ«脾腎
の煩»は出てきません。
五臓(肝・心・脾・肺・腎)のなかの脾腎が代表で
出てくるのはどのような理由があるのか考えて
見ました。
中医学でいう«精»についてかんがえてみると
なんとなく理解できそうです。
«精»とは人体を構成し、生命活動を維持する
基本物質のことで、精には先天の精と後天の精
があり、先天の精は、人体を形成する基本物質
であり腎中に保存され、人体の生殖機能が発育・
成熟する時期になると生殖の精に変化して、
生殖や成長発育を促す機能が備わります。
後天の精は、飲食した水穀が化生した栄養物質
で五臓六腑を滋養し、生命活動を維持するのに
不可欠です。
先天の精と後天の精は密接な関係があり
「先天は好転を養い、後天は先天を養う」と
いう言葉があります。
この本では愚かなるものは永遠を解して
一分一時の限りなく連なるものと思い、時間を
空間的に解釈し、今日が過ぎ流れば、明日が
あるように解している人間がほとんどであるが
本当の永遠は今現在にあるということを
理解しなければならないというようなことを
いっています。