灘と西大和で長年英語を教えてこられた木村達哉先生、キムタツ先生のチャンネルの上の動画を拝見しました。
題して「英語を教えるのが得意になりたい先生必見!キムタツ流3つのポイントを大公開」というものです。
詳しい内容は動画をご覧になっていただくとしまして、全体的な感想としましては、
まあ、そうなるだろうな、自分が普段から考えていたことや、このブログで何度か言ってきた事を見事に纏めておられるな!という感じです。
ポイントは3つあります。
1)伝える力
2)教科の力
3)人間性
以下、動画の内容に少し補足的コメントをつけさせていただきます。
1)キムタツ先生がおっしゃるとおり、先生という職業は噺家です。
その日の生徒の表情、教室の空気、を微妙に考慮しながら、話す内容、量、スピード、間、を調整する、この点は落語家と同じです。
私は長年の寄席通いで、落語家の間のとり方を盗もうとつとめてきました。笑。
もう少し、どうしたらウケるかを盗めばよかった。おかげでギャグは全然ウケません。笑。
2)キムタツ先生曰く、
「英検2級の先生では2級の指導もできません」
やはり2級を教えるには、最低でも準1級で、
準1級を教えるには、最低1級で。
3)の人間性、これが一番難しい。
自分が人徳、道徳に優れている、と自惚れるほど、人徳に反する、非道徳的な態度はないのであります。
それでも、
キムタツ先生の言う通り、SNSで人の悪口ばかり書いている人は、やはり尊敬できません、「この人について行こう」とは思わないはずです。
ベルグソンという哲学者は凄い言葉を遺しています。
聖徒や偉人は他人に向かって何も求めない。しかも彼らは漁(すなど)るのである。彼らはあれこれ諭す必要すらない。彼らがただいるというだけでよい。そういう人のいるということが、そのまま招きとなる。けだし、この点にこそまさに第二の道徳の特質にほかならぬからである。
私たち凡人は「ただいるというだけでよい」というようには、なかなかなれません。だけれども、少なくともそのような存在に一歩でも近づこうとする構えぐらいは示してみせるのでなければ、「人間性」という言葉が、あまりにも虚しいではありませんか。
「あの先生、特に何も教えてくれはしないけど、ただいてくれるだけでいいんだ。」
そんな先生になるのは至難の業かなぁ。
追記
感想、コメント、メッセージ歓迎します。
おかげさまで、私の授業コマも埋まってきました。高校生ならあと1人、2人は指導可能です。中学生なら2人3人といったところでしょうか。