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今日は私の命の恩人、最近まで通っていた東洋医療のタニクリニックの谷美智士院長を偲ぶ会でした。

昨年10月から受診し始めて私のガンが消えてきた矢先の今年2月末に急死されてしまいました。

谷先生についてはこちら、ちょっと古い記事ですがご参照ください。http://www.gekkan-gan.co.jp/index07.07.06.htm

ステージ4余命12ヶ月の宣告と同時に標準治療の世界では生還率ほぼ0%で抗ガン剤での延命治療しか出来ないと言われ、絶望の淵で思い出したのが鳥越俊太郎著「がん患者」でした。

鳥越さんも大腸ガン肝臓転移、その後肺転移の立派なステージ4の筈なのに、未だに現役でピンピンしているのには抗ガン剤や放射線治療などの標準治療以外に、必ずなにか秘密がある筈と考え、もう一度本を読み直してみることにしました。そこには、ほんの数行だけ東洋医療のタニクリニックの事が書いてあり、正に藁にもすがる思いでネット検索した番号に電話しました。

すると、とてもそっけない返事が。

「当院は毎月第一月曜日朝9時からの電話予約のみを受け付けております。それ以外のご予約は受け付けておりません。もし繋がりましても只今大変混み合っており、初診は2~3ヶ月待ちとなっております。」

「余命12ヶ月なので、なるべく早く診ていただきたいのですが、、、」

「次の第一月曜日に03-XXXX-XXXXにお電話下さい。」ガチャ

取り付く島もない対応に、運命尽きたかと思ったものでした。

運命の8月第一月曜日、家族の思い出作りのための縄文杉登山で訪れた屋久島のいわさきホテルで朝を迎えました。妻と2人、ロビーの公衆電話前でそれぞれの携帯電話を握りしめ、万全の準備を整え9時を待ちました。ロビーで待機したのは、緊急時には公衆電話の方が繋がり安いと聞いたことがあったからです。ならば、通常時でも公衆電話の方が優先度合いが上なのではないかと考え、携帯電話2台+公衆電話の体制をとったのです。

9時ちょい前に電話スタート、何度かけても繋がりませんでした。諦めかけた9:20頃でしょうか、携帯電話の一台と公衆電話が繋がったのです。その喜びの瞬間は今でもハッキリと覚えています。

今日の谷先生を偲ぶ会で、クリニックが閉鎖されて疎遠になっていた看護師さんや受付嬢に久しぶりにお会いし、体調やガンの状況など近況報告することができました。

その際に言われた言葉が、
「実は野中さんの初診受付の電話は私が受けたんですよっ!毎月第一月曜日は電話が引っ切り無しに掛かってきて、何度トライしても繋がらない方が大勢いらっしゃる見たいでした。野中さんは本当に運が良かったんですよ~!。」

10月初旬の初診が決定し、漸く谷先生にお会いした時の「ウチなら5割は治せるぞ」と言って頂いた言葉にどれ程救われたことか。かなり厳密な食事療法にもめげなかったのは、谷先生の治療を信じ切る事ができたからだと思います。

食事療法以外にも谷先生独自の生薬とスペシャルカクテル点滴、良く理解できない気の治療を毎週2回受けて挑んだ1月末の定期CT検査では、何と白い影がボンヤリとほぼ消えかけていました。

今年2月、劇的に改善したCTの結果を持参して挑んだ谷先生の診察では「これで気を緩めてはいかん。此処からが正念場。」と気を引き締めていただいたのが最後の言葉となってしまいました。

鳥越俊太郎さんの「ガン患者」との出会い。

癌やエイズなど現代医学では解決出来ない難病や不治の病を独自の治療法で治癒に導き、数多くの尊い命を救って来た谷先生との出会い。

もしかすると、私の命は谷先生に救っていただいた最後の命かも知れません。

谷先生の思いはタニクリニック副医院長であられた高橋先生が東銀座高橋クリニックで引き継がれています。

私も気を緩めすぎて怪しくなったらお世話になる予定です。

そして、何と、本日の谷先生を偲ぶ会実行委員長兼司会進行は、私をタニクリニックに導いてくれた「がん患者」の鳥越俊太郎さんでした。著書によってどれだけ救われたか、直接お礼する夢が叶いました。

谷先生、頂戴した命を大事に意義あるものにしていきます。有難う御座いました。

谷先生のご冥福をお祈りします。

合掌