入院日記

大竹秀典 30歳 ♂






12月○日


この前の試合で顎を骨折していた俺は

治療の為入院する事になった




顎の骨折は以前に一度やっていて

治るまでの流れを知っているだけに余裕もあったが

もちろん苦痛がある事も知っている




この治療でしんどい事は

痛みよりも長い流動食生活を強いられる事だ




顎がイカれて「食べる」作業が出来ない人間にも

生かす為に栄養を与えなければならない




その手段として

鼻の穴から長さ5~60㎝のチューブを入れ胃の中まで到達させる

このチューブの中を栄養剤が通って胃に送り届ける仕組み




この鼻にチューブを入れる作業がまたしんどい

医者に鼻の穴からチューブを入れられ
先っぽが喉ちんこ付近まで到達したら

今度はそいつを飲み込み飲み込みして胃の中まで持っていかなければならない




これに成功したら

次は顎が動かない様に歯の上下をワイヤーで縛り

噛んだ状態でガッチリ固定し唾も吐けない生活が始まる

いっこく堂になった気分だ




始めはチューブの違和感でなかなか寝付けず夜が長い




同じ部屋の向かいのベッドの男が

バリバリと音をたて身体をかいている音が聞こえる

それも一晩中

そういう病なんだろう仕方ないが

今の俺にはやたら耳障りだ








12月×日


顎の固定手術が終わり

痛みで一睡もできない長い夜が明けた




術後
弟が様子を見に来ていたが

激痛で不機嫌になっている俺に嫌気がさしたのか

そそくさと帰っちまった様だった




おぼろげな記憶をたどりながら

続く痛みに耐えベッドに横たわっていると

妙な音が耳に入って来る






サクッ サクッ

バリボリバリボリ


サクッ サクサクッ

バリボリバリボリ




何かと思ったら向かいのベッドにいる男が
どうやらスナック菓子を食っている様だ




俺の陣地も奴の陣地も互いにカーテンが閉まっていて姿は見えないが

音から察するに菓子を食っている事は間違いない




しかも食い方から察するにチップス系じゃなく

細長い系だ




かっぱえびせんか何かかな

と想像を膨らますと
約一週間何も口にしていない俺は腹が鳴った




ここまでは許せた

しかし次の瞬間
耳を疑いたくなる音が入り込んで来る






じゃが りこ じゃが りこ じゃが りこ


じゃがりこじゃがりこじゃがりこじゃがりこ








くそったれめ向かいのベッドの若造は

かのCMに洗脳されたであろうリズム感たっぷりの顎さばきで
スナック菓子をむさぼっていやがった




食ってる菓子は「カルビーのじゃがりこ」と判明

CMと同じリズムを刻む挑発的なサクサク音に激昂




この仕打ちはもはや
俺の顎が使い物にならないと知った上でのおちょくりとしか捉え様がない

しかし怒気を含むほど顎の痛みに響き

術後丸二日間は痛み止めをぶち込みながら

サクサクッと奏でられるレクイエムに泣く泣く耐えるしかなかった








12月△日


若造の陣地からはカリサク音の他にも妙な音が響き渡ってくる






ピタッ ピタッ ピタッ


ペチペチペチペチペチ

パンパンパンパン




そうだ

女性が化粧を落とした後や肌の手入れをする時に聞く

顔を軽めに叩く様な顔面マッサージ音




それが男の顔面から聞こえる音だと思うと何とも胸糞悪い




もちろん肌の手入れは男女問わず個人の自由で

「肌男です」なんてCMもやってるくらいのご時世だ

別にその行為に文句はない




しかし若造に苛立ちを覚えるという事は

例のカリサク音の件を根に持っている証拠だろう

俺は小さい






例のピタピタ音が止んだかと思うと

今度はドライヤーやら頭髪アレンジ器具やらを持ち出し

病室備え付けの洗面台で頭髪のセッティングに精を出す若造




ちょうどその時小便がしたくなった俺は

ベッドからはい出て便所に行くついでにこの若造を少し観察した




洗面台の鏡ごしに若造の顔をよく見てみると

色白で眉毛はないに等しいが顔立ちはなるほど端正な出来映えだ

ついでにほどよいナルシスティズムを感じる





その時頭の中を「じゃがりこ」がよぎり苛立ちが戻ってくる




しかし
「菓子をリズムよく食うな」などという阿呆らしい台詞を吐く気にもなれず

怒気を呑み込んで便所に入り用を足した






いくら出してもすっきりしない










12月◎日


顎の痛みが多少やわらいだ俺はTVゲームをやってみた

普段ゲームはやらないが
「入院中ヒマだろ」
と知人がPS3を差し入れてくれた





本や雑誌を一日中読んでいても飽きる

快適に体を動かす程の余裕はない

追われる生活のリズムもない

寝なきゃいけない事も起きなきゃいけない事もない

一日三食のメシもない




厳密に言えばメシはあるが
「ご飯の時間ですよ~」
なんて台詞を吐きながら看護婦が持って来るのは無機質な袋に入った栄養剤のパック

鼻チューブでこいつを胃に注ぎ込むが
腹もたいして膨らまないし味もない




あるのは途方もなく長く感じる時間だけ




食事タイムになると
同じ部屋の人間のメシを食っている音が容赦なく耳に入って来る

ピッチャクッチャ ピッチャクッチャ




そんな音を遮る様に耳にイヤホンをはめゲームだ

時間が早く過ぎ去る事を願い普段やりもしないゲームに没頭した




知人が貸してくれたゲームは「龍が如く3」

新宿歌舞伎町そっくりの街が舞台で

主人公がヤクザやチンピラを相手に抗争を繰り広げ進んで行くゲーム

格闘する事が多く
ダメージを受けると体力を回復させる為に牛丼屋やバーガー屋で腹ごしらえをする

ゲームと言えどこれもまたリアルで美味そうでたまらん




と思っていたら後ろの方で何やら声がした




振り向くとじゃがりこの若造が立っていた




俺はイヤホンをはずし若造に聞き直した

すると
「今日で退院します」とほざく

これにはテンションが上がった




これでもう鬱陶しいサクイエムを聞かなくてすむ




おめでとう

とハイテンションで言った俺に若造は多少ギョッとしていたが

これで丸く一難は去った









しかし

敗北感とは違うがこんな事で安堵していていいのか

という後ろめたさが尾を引く






手前の勝手な都合で顎を不自由にした俺は

若造の軽快でリズミカルな顎さばきを聞いた時
不覚にも羨ましいと思ってしまった





こんなところで安心している暇はなく

一刻も早くじゃがりこを豆腐の様に噛み砕く顎を作り上げなければならない






入院のストレスにやさくれて大事な事を忘れていた

人間やはり目標ってものがなければ人生つまらない





今回の件で俺には

「打倒じゃがりこ」

という燃える様な新しい目標がいつの間にか出来ていた


一刻も早くあの挑発的なリズムを刻みたくてたまらない





スナック馬鹿は去り際にいい目標を残して行ってくれた






サンキュー若造

ひっそりと心の中で呟いた