「俺が常々言い続けた事で

お前がそう考えたのなら仕方ない」




己の思考回路の一部始終を話すと

社長は最初の時と変わらず快く受け入れてくれた




こうして二年勤めた会社を辞め

何故か必然的に東京に行こうと考えたが




都会は家賃が高いし

全く土地勘もない

連絡を取り合っている知人もほとんどいない




ますます面倒になったが

身近に好都合な男が一人いた













当時実家には

「弟」という一匹の豚が巣喰っていた






実家でニート生活を貫いていた豚は

朝から晩まで家でごろつき

煙草を呑み酒を煽り大飯を食らい

母親の作った飯のおかずに時には文句を垂れ

働きもせず糞小便だけは一丁前に垂れ流し

部屋の掃除などよっぽどの事がなければしない為

缶ビールの空き缶は溜まりカップ麺の食い残しからはカビが生え

灰皿がひっくり返ったらそのまんま




という荒んだゴミ屋敷生活を送っていた








朝7時半

会社に出掛ける前に弟の部屋を覗く




豚は布団にくるまってパチンコのゲームをやっている

















夜9時半

帰宅し弟の部屋を覗く




やはり豚は同じ体勢で布団にくるまりパチンコのゲームをやっている








しかし

ほざく台詞は上等そのもの

「俺はやる時はやるって

まだその時じゃない」













この台詞にさすがの兄も堪忍袋の緒が切れ

東京拉致を決意








上京するついでに

無理矢理この豚もとりあえず持って来た




これで家賃も半分で済む









アパートを借りた費用で銭は底をつき

ほとんど生活費がなかった為
深夜日雇いの冷凍食品工場で働き日給一万円




これで数日食い凌ぎ

固定の働き口を探しながら

賃料を貯める




この生活を繰り返す中で
豚も徐々に人間に近付こうと進化を遂げる






俺もしばらくして下北沢に固定の働き口を見つけ

幾度か給料日を待ちジム入会金を貯め

今のスタートラインに立つ運びとなった












それから六年




当時の豚ともいくらか人間らしい会話を話せる様になり

弟と酒を呑んだ時は
実家の話をしたりする








「二人とも学校をきっちり出させてもらったのに
勝手に俺達が出て来ちまって
親父達が少し可哀相かな

あの家にぽつんと二人じゃ寂しいだろうな」










そんな話をしていた数日後

酔っ払った実家の親父から電話が来る




「いや~
こっちはお前らがいなくなって逆に上手くやってるわ

お母さんと二人でウハウハだ」












50半ばにしてウハウハ




あと50年位は生きると安心した











しかし帰省する度に母親がうわごとの様にほざく

「やっぱり無理してでも女一人産んどきゃよかった」












どうやら熟年の男と女の間には

何らかの温度差があるらしい















幾分話題が反れたが

こういった流れで俺は今ボクシングをやっている








もっと書き足りない部分が山ほどあるが
11月中の更新を目論んでいるので終了














そして

東京に来てからの出会いも素晴らしい




恵まれた出会いに感謝したい



















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ありがとうございます






中には面白いコメントもあり楽しませてもらっています




放置癖のあるブログですが

今後ともお付き合い頂ければ幸いです







まずは12月10日






気合いの入った応援

宜しくお願いします