ハノイね、ベトナムの首都、10年前2014年は、もちろんあそこに住んでいた。

あの時の記憶は、一般人より強いけど、忘れたこともあるはずだね。

そういう性格の私は、母語は一番偉い言語だと認めたくない、2011から2015は、大学でベトナム語を勉強している私は、同時に、精一杯で日本語を練習する、その時期は本当に私の日本語能力の頂点だった。

Big Cスーパ、西湖、BIDV「ベトナムの投資と開発のための銀行」、バイクの騒音…これは全部歴史になったね、自分の人生の一部で。

何時だったのかな、ある日、ハノイキムマー道の日本料理店で、並んでいる席で、隣の日本人と半時間ぐらい話してたけど、隣の知らない日本人は、私、日本人じゃ無かったと知らなかった。

つまり、その時、私の日本語の発音、文法、完璧だったの?!

まさか!そんな能力があったの!

残念だが、今は確かに退化しました、特に2015年以来、ホーチミン市へ移動したとね、日本圏とあんまり接触はなかった。

運命だね、予め、たくさんの言語を勉強し、数十年後は忘れるだとわかっています、だから今忘れたくないな、日本語、そして、自分には、一つ要求がある、発音だ、発音は駄目なら、自分に許されない、本当!

そうですね、あれからはもう10年だね、人生は幾つの10年があるの?

って、平成だったね、今は令和。生まれたときはまた昭和、やれやれ。

今のハノイ大学は、そのままだね、新しいビル建ってたけど、クラスルームで全部エアコンを配備した。

今、この時期、私一番上手な言語は、何だと思うかね?それは、自分でも分からないな。

10年後の私、また一生懸命で頑張りたい?老化したから、もうやる気はなさそうだが…

やる気はなさそうだけど、決心は強い、自分が大切だと思うことは、投降したくない、それは、重い病気じゃない場合は、諦めたくないこと。

その時の65階高さのビル、ロッテマートはまだ処女だった。

2034年、安心してい、病気じゃないなら、私相変わらず固執な性格です、諦めない!