2月9日(日) 晴れ

コース


前日は遅番で、バスケットボール大会で使う電光掲示板のセッティングでてこずり、家にたどり着いたのが午前0時近く。急いで風呂に入りベッドにもぐり込めたのが1時になってしまった。出発を少し遅らせて6時に家を出た。

東武伊勢崎線福居駅に8時15分ごろ着いた。駅前にトチセンという会社の大正時代に建てられた赤レンガの建物があるとのことだったので、走る前に寄ってみる。ランドマークとしては良いが、実際に工場としては使いにくいのではないかと思う。古い建物を残すというのは実際大変なことだと思う。

トチセンの工場


県道128号に出て、道路わきの空き地で準備体操をして8時25分にスタート。赤城おろしの冷たい風が容赦なく吹き付ける。追い風なのでスピードは出るがとにかく寒い。ダウンを着て走っているが、なかなか温まらない。
次の梁田宿までは特に立ち寄るところもなくひたすら走る。渡良瀬川を渡る橋の手前で県道を左に入ると梁田宿で長福寺に立ち寄る。ここは戊辰戦争で中山道を進んできた官軍と幕府軍との間で戦いがおきたところで幕府軍側に100名の戦死者が出て敗走したという。東軍戦死者追弔碑と戦争石碑がある。

長福寺 戊辰戦争の東軍戦死者追弔碑


梁田宿を出て渡良瀬川の堤防に突き当たり、堤防の上を進む。堤防のすぐ脇の田んぼの中にアンテナが立っていた。CRT1062KHzと書かれていた。調べたら栃木放送の送信アンテナだった。
また、ここからは小さくではあるが富士山も見えた。

栃木放送のアンテナ


渡良瀬川を崎橋で渡り、左に曲がって堤防を下りたところに川崎天満宮がある。例幣使の一行はここに立ち寄り野点をすることになっていたとのこと。
渡良瀬川の堤防の下をくねくねとしばらく進んだ後、再び県道128号に合流。出流川を渡った先で左に折れると厄除元三大師の案内がある。コースから右手に200メートルほど離れるが行ってみる。朝からパラパラと参拝者があり、それなりに名の通った寺のようだ。

厄除元三大師


両毛線の踏切を渡り、再び渡り返して秋山川に出て、ルート上の橋に進むと、街道に架かる橋が崩れている。

秋山川 崩落した橋


去年の台風で崩壊したみたいで、その先にある橋を渡る。渡ったところが涅槃寺でその先に佐野厄除大師がある。藤原秀郷が平将門降伏を誓願して春日明神とともに建て、その後この地に移されたとのこと。日曜日ということもあり、たくさんの人出で賑わっている。厄払いの行列もできていた。

佐野厄除大師


寺を出て北に進み、街道は右折するが、その先の熊野神社に出流天狗殉難碑があるとのことで寄ってみた。出流天狗党は水戸天狗党に倣って尊王攘夷を叫び決起した佐野近郊の農村の若者たちで、出流山に立てこもり、その後捉えられて天明河原で斬首されたという。

熊野神社 出流天狗殉難碑


再び街道に戻り天明宿に入る。ここも往時の建物が保存されている。その一つ、新井屋に立ち寄り佐野名物「味噌まんじゅう」をいただく。結構美味しくて、土産に持って帰れないのが残念だった。

佐野名物 味噌まんじゅうの新井屋は一番右の建物


新井屋の味噌まんじゅう 白あんと粒あんをいただく
「あ~らいや~の味噌まんじゅう」という節回しが今でも耳に残る。


天明宿をすぎ、先の相生町交差点で北に向きを変え、両毛線をくぐって突き当たったら右折する。

少し行くと「太七」という佐野ラーメンの店があった。店の前に美味しそうな青ねぎラーメンの看板が出ていたので、どうしても食べてみたくなった。ここは佐野ラーメンの有名店らしく11時を少しすぎたばかりなのに店内は満員で店の前にすでに5人ほど並んでいた。時間がかかりそうでどうしようかと迷ったが、せっかく佐野まで来たのだからと列に並ぶ。15分ほど待って中に入り迷わず青ねぎラーメンを注文した。薄い醤油味で確かに美味しかった。

佐野ラーメン「太七」の青ねぎラーメン


お腹が膨れたところで、街道ランを再開するも、すぐに佐野百観音台元寺が右手にあり寄ってみる。百観音の看板が出ているのに、誰もいなくて鍵がかかっていて入れない。室内も暗くて観音様もはっきりと見えない。残念だがあきらめて先を急ぐ。

寺を出てすぐの小学校のあたりが犬伏宿で左手の少し入ったところに、徳川秀忠が関ケ原に向かう時に一泊したという大庵寺があるので立ち寄った。

大庵寺 小山評定の後、関ケ原に向かう徳川秀忠が一泊したという

 

さらに少し行くと米山古墳とその際に犬伏薬師堂がある。ここで真田父子は父昌幸と次男信繁が豊臣方に、長男信幸が徳川方につくことで真田家の存続を図る話し合いが行われたという。。

犬伏薬師堂 「真田父子の犬伏の別れ」の地


東北自動車道をすぎると前方に無残な形をした岩船山が見えてくる。昭和初期まで採石場だったとのこと。また、右手に万葉集にもうたわれた三毳山が見える。特に優美だとか感じないが、見る人の心のありようで感じ方も変わるのだろう。

岩船山


岩舟の市街を抜けて静和郵便局のところから街道は北に向きを変える。やがて大平町。40年ほど前の、20代の後半に宇都宮で営業をしていたころ、エアコンを作っていた日立製作所の工場がこのあたりにあったことを懐かしく思い出す。社員食堂の食券をもらって昼食を食べたが、その塩辛いことに閉口した。日立の食堂も今は改善されているだろうとは思うが、これも懐かし思い出だ。

富田宿をすぎて永野川を渡り、川連天満宮のところで右折し東武日光線の踏切の手前で左折。しばらく進んで両毛線をくぐると栃木市内に入る。街道は複雑な右左折を繰り返し巴波川を渡ると栃木宿となる。すぐ右手に水戸天狗党の本陣があった定勝寺に立ち寄る。吉村昭著の「天狗騒乱」という小説を読んで、是非とも行ってみたいと思っていたが、それらしい案内も特になかった。

定勝寺 水戸天狗党の本陣


栃木宿は巴波川沿いの舟運で財を成した豪商の蔵や街道沿いの商家の蔵などが残され、街全体が博物館の様相を呈している。博物館、美術館、資料館などあまりにも多く、建物だけ見てどこも立ち寄らないで、改めて訪れることにする。宇都宮に5年ほど住んでいたが、栃木がこんな街だとはまったく知らなかった。

蔵の街栃木


嘉右衛門地区は歴史的建造物保存地区とのことだが、これまで見てきた東海道、中山道の宿場と比べると見劣りする。栃木宿を終わろうとするあたりに油伝味噌という味噌蔵があって、そこで味噌田楽が食べられるとのことなので立ち寄り、こんにゃく田楽をおいしくいただく。

油伝味噌のこんにゃく田楽


合戦場宿まで行くつもりだったが、電車の時間を確認すると、合戦場宿まで行くと電車の本数もがっくりと少なくなり、かなり不便になることが分かる。かなり冷えてきたこともあり、今回は栃木宿の北の端をゴールとし、新栃木駅から帰ることにする。

新栃木駅までは1キロほどあり、電車の時間にぎりぎりだったがなんとか間に合った。途中でビールを買っている余裕もなかったが、そもそもこの寒さの中で冷たいビールを飲みたいという気にもならなかった。

走行距離:37.7キロ
走行時間:4時間50分