加藤淳平著の『文化の戦略』(中公新書)を読んでみました。
加藤氏は、長年大使を務めてきた国際交流のプロ。
ブックオフで売ってたので、なんとなく手に取った次第です。
この本では、日本の
「欧米コンプレックス」からの脱却が、口が酸っぱくなるほど説かれています。
違和感を覚え、急いで発行年月日を確認したら、案の定1996年と
16年前の本でした。
私がガキだったころの
1980年代、若者はみんな洋楽、つまり欧米の大衆音楽を聞いていました。私も例にもれず、ロックのオリジンたるブルースやR&Bを、必死になって聴いたものです。
ところが
1990年代になると、洋楽を聞く若者が激減。J-POPで充足するようになりました。音楽に詳しいヒロシヤング氏はこの状況について
「やっと日本が欧米コンプレックスから抜け出せた証拠」と、かつて評していました。
1995年ごろ、私は上海に留学していました。
留学生寮に住む
10代や20代前半の日本人留学生が、欧米からの留学生とごく普通にコミュニケーションしているのを見て感心したことがあります。
彼らは、欧米人を同じ人間として対峙しているわけです。また中国人に対しても同様でした。
一方、私はその頃20代後半でしたが、欧米人と話すときはちょっと身構えていました…。
肩肘を張ることなく欧米人と関係を構築している日本の若い世代を見て
「日本人は若い世代になるほどまともになっている」と思ったものです。
この感覚は、いまでも変わっていません。
要するに、
1990年代から、日本では欧米コンプレックスから脱却し始めたと感じるのです。
同時に、欧米以外の諸国に対する感情も、ますますフラットになっている感じがします。
近年の韓流ブームなどはその最たるものですね。
外国人との交流に関する議論で、「自国の歴史を知るべき」「相手の歴史を知るべき」と言われます。
上記の若い留学生たちは、歴史については無知な人が多かったです。
歴史を知ることは確かに大切ですが、本質ではないでしょう。
同じ人間として対峙すること。これが本質であるはずです。
ここから出発し、交流の過程で派生する問題として上記の「歴史を知る」という話があるべきなのです。
私より下の世代が中心となる今後の日本は、たとえ経済力が落ちたとしても、これまでより世界で親しまれる国になっていると予測します。
文化の戦略―明日の文化交流に向けて (中公新書)/加藤 淳平

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