今回は初の試みをしようと思って書いた。いつもは「~である。」「~なのだ。」となかなか偉そうに論じている。人によってはそれが「つまらない」と感じるポイントになるのだとかとか。あー、なるほど。
先日、友人らと談話している時に友人らから、もっと「自分の言葉で話しなよ。(もう、いいんじゃない?)」というフィードバックがとても心地よくガツンと響いた。なので、いろいろ不慣れではあるけれどあまり語調を変換しないで平易な自分で書いて見ようかなと思う。
さてと、タイトルは「しがみつく世代」としてみた。これは最近、良く感じるので僕が勝手に呼び始めている。不快に思う人も沢山いると思うけれど、感情的なものではないのでざざーっと流してもらえれば良いなと願います。
それに、まだまとまりきってもいないので、あまりうまく説明できないという点も残っているし。何はともあれ、僕から見える「しがみつく世代」の事はこんな感じというのが伝われば充分かなと。ざっくり言うと、
『自分の考え方を責任の後ろに置いて行動していく人々』
なんじゃないかなぁと。もう少し言うと、自分中心の考え方ではあるけれど、その責任が重い為、言われた事や目先の事に集中・執着して失敗しないように仕事や物事をこなす。指示待ち人間でもあるけれど、間違ってはいけないという重圧やそうしなければならないという権力や圧力に従順な世代だなと感じたりする。
僕には真似できない優等生ぶりだ。僕ははみ出し者で、自由に生きる意味を履き違えていた感が多少はあるけれど。その一方で思うのは、学業に注ぎ込むのはお金ではなく実践と時間だという事実。この事を社会人になって早くに知れたのは一番の学びだったと自負しているのは確かな事。あ、「しがみつく世代」に話を戻そう。
従順な優等生が「しがみつく世代」には多いと僕には見えている。簡単に言ってはいけないかも知れないけど、この世代はお察しの通り僕ら世代だ。なぜっていうと、僕らの親世代は「団塊の世代」と呼ばれて、高度経済成長を牽引した世代として称賛(?)されて来た。
僕らは「団塊ジュニア」とも呼ばれている。もう、かれこれ24年以上前の事だけど、高校卒業当時、親に「いい大学(=有名校)に行きなさい」「いい成績を取りなさい」「いい会社(=大企業)に入りなさい」「公務員になりなさい」とかって言われ続けて来た人も多いんじゃないかって思う。ちなにに僕は、勉強と田舎を出てみたいと考えていたので、高卒で上京・就職しちゃいましたが。
僕は東北の山奥の田舎出身だけど、塾通い・好成績=優秀な人・高学力 という印象は強かった。これって、当時も現在も変わってないんじゃないかな?と僕は見てる。そう思うのって僕だけか?このイメージみたいなのに振り回されてない?厳しめの質問をするとですね、勉強が出来て、学業成績が優秀だった人全員が仕事が容易に出来てますか?
「勝手に決め付けるな」という声も上がりそうね。。。ごめんなさい。。。でも、続けます。
なぜ、そう思うかっていうと誰にでも「認められたい」という気持ちはあるはずでそれって当然で自然だと思うし、向上心はそこにあると僕は考えてる。ただ、忘れちゃいけないのは「あの人がこう言ったから」「上司に言われてるから」「この判断はしちゃいけないと言われてるから」と、他人の意見や指示を鵜呑みにして執着したり、それだけに集中すると自分が決めている事と反する事をやってしまう危険が高まっていくという事。
『そんな大変な思いをして、自分を壊す事をやってまでして「認められたい」のか?』って自分に聞いてあげた方がよっぽどいい事が出来ると僕は信じている。これ本当、目を開いて何も見ないで無理に実行に移すより簡単だから。自信が無くてもこの自問は出来る。あ、もともとさ、言われてる事をやれる自信ありました?
そこまでして、他人の意見に「しがみつく」のはなぜでしょう?親や上司の言いなりになりたいでしょうか?そんな事は決してないはずだよね。親や上司はうまくやって来た世代かも知れないけど、そこを羨ましがる必要も無いし、その成功は既に過去の事。過去は歴史でもあるね。歴史から学ぶ事は必要だけど、同じ事をやってもうまくいかない。時代背景とかも全然違う訳だから。
もう、バブル景気とか期待するのも無しで進みたいよね。妙な希望や安易で楽観的な考えよりも、現状と自分のスタンスをどう創っていくかって事を考えた方がよっぽど希望が持てると僕は思う。
例えば、「上司の機嫌が良ければ、企画が通る。」に希望はないけど、すぐに言えることは3つ。1.機嫌が悪くても通る企画にする必要性。2.そもそも、機嫌で企画の優劣を精査されている事に疑問を持とう。(打ち手はないか?)3.他の先輩や他部署の上司にも相談してみよう。まずは仲間つくりからかも知れないけどね。やれる事は沢山あるはず。簡単じゃないけどね。
失われた何十年と言われて久しいし、記録更新中な感がある。ニュースでも、政治や経済的な話題の時には現在進行形で使われてる気がする。当時の世界的なショックは大きかったのかも知れないけれど、いつまで「しがみつかせ」たいんだろう?て思う。
「あの頃は良かった」の「あの頃」の再来は二度とない。
あるのは、多様性に富んだ自由な社会を創って行けるのは我々一人ひとりの責任次第だという事実だけ。あえて、言い換えるなら夢を叶えやすい社会を創れる時代になったと僕は考えている。
うだうだ悩んで病気になる必要もない。あんな思いはもうごめんだ。
人生は一度きり。愚かなくらいに自分に素直になろう。もう、いいじゃないか。
他人の目や言動にしがみつく必要はもうない。僕には僕がいる。
そして、仲間がいる。これを読んでくれる仲間が。