腰の疲労から自宅で安静にしてましたがその時ふとジャイアント馬場さんのことを思い出してました。
十七回忌か…もうそんなに時間が経ったのですね。

1990年ごろの全日本プロレスがちょうど高校から20代の前半で一番プロレスに多感だった私。
当然馬場さんの試合も何度もリアルタイムで見ており、初めてプロレスを生で見た大会、メインは馬場さんが出てました。(88年世界最強タッグ決定リーグ戦)

そのくらいの頃にファンクラブ特典で撮った貴重な写真がありました。
まだ私は高校生!!


若いな~(笑)!!


ま、その後私は全女と接触したことで興味対象が女子プロレスになり、全日はテレビで見るだけでしたが馬場さんは好きなのでテレビに出てるものとかもけっこう録画したし本も買ったりしました。

今、思い出した話ですが、以前馬場さんの一周忌かなんかでスタン・ハンセンのトークがあり、私はハンセンに質問する機会を与えられたので
「もし、今またもう一度馬場さんとタッグを組むことができたら誰と戦いたかったですか!?」
と聞きました。

ハンセンはその時全日本のタッグ戦線の中心にいたベイダー、スティーブ・ウィリアムス組と後にノーフィアーで一躍名を馳せた高山善廣と大森隆男の名前を挙げてました。
時代が時代ですね。

話戻して、ある時期たまたまもう一度馬場さんと写真を撮る機会がありました。
1997年の暮れの頃です。

その年全女が倒産の報告を出して、所属選手は全女に残る者、アルシオンかネオレディースに残る者と出ましたが、私は4ヶ月も給料が出なくなり生活も苦しくなったため業界への正式就職はあきらめました。
精神的にも病んでいたため一度何もかもリセットしたくなり、福島県二本松市の岳温泉というところで年末の温泉旅館の住み込みバイトをしていたのです。

ところが赴任して半月後、福島に全日本プロレスの興行が来たのです。
12/2福島県体育館、世界最強タッグ決定リーグ戦。
その日はその年初めての雪が福島に降っていました。

長い時間を外にいたため暖房があった売店付近にいたらそこに馬場さんがいました。
首都圏から離れてるとこなので東京のファンは私ぐらいしかいなかったのかな(後から元JWPで福島在住だった矢樹広弓さんがいたと本人から聞きましたが)、売店前はすいてて馬場さんものんびりしてたのでツーショットの写真を撮らせてもらいました。



これがその時!!


馬場さんは写真を撮ってた仲田龍さんに
「おい、今日はやけにサービスいいな」
なんて話をしてました。
仲田龍さん曰く私が目をつぶってしまったらしくて撮り直ししたのですが、生で間近に聞く馬場さんの声に普段誰と会っても緊張しない私が一番緊張してました(笑)。

この時握手をさせていただいたのですが
大きいうえにものすごく硬い手でした。
空手の達人の方とかにあるような拳ですからすごく硬かったのですが、後にも先にもあれだけ硬い手の人と握手をしたのは馬場さんとアブドーラ・ザ・ブッチャーだけですね‼

そういえば小橋建太さんも最近ツイートで馬場さんの思い出を書いていましたが、その内容になった89年3月のアジアタッグ戦(川田、冬木 vs 馬場、小橋)は私、直に見に行きました。
これがその時の写真です。



ヤバイ、小橋さんも若いし、私も若い(笑)。

この日は小橋さんの23歳の誕生日でそれを記念に馬場さんがデビュー一年目の小橋さんと自らが組む大抜擢の試合を組んだんですね。
この試合ノーテレビだったので後楽園まで見に行きました。

まあ、めちゃくちゃ個人的な思い出なんですが、後でブログを見返した時こんなことあったなって振り返れるからいいんだと思うのです。

後にきっとこれ残してよかったなって思ってるでしょうね。