佐野研二郎氏によってデザインされた、東京オリンピック、パラリンピックのエンブレムについて、
大会組織委員会が使用中止を発表した。

 新国立競技場につづいて、エンブレムまでもが、、、

 でもまあ、ここまでケチが付いたら、撤回も止むを得ないであろう。

 騒動がどんどん大きくなる過程を見るにつけ、小保方晴子さんの一件がデジャブとして頭をよぎった。

 類似しているのは、世紀の大発見として一躍「時の人」として注目された小保方さんだが、
発表会見後、程なくして、ネット上で論文の文書のパクリが指摘される。

 その後、記者会見を行い、火消しに躍起になるが、またぞろ疑惑が次から次へと出てきて、
小保方さんはさらに窮地に追い込まれる。

 そして最終的には身内からも疑いの目を向けられ、論文を取り下げる事態に至った。

 佐野氏の場合も非常によく似た経過を辿ったといえる。

 でもSTAP細胞論文にしろ、五輪エンブレムにしろ、審査したのはその道のプロである。

 高い見識と幅広い経験をもったはずのプロによってお墨付きを与えらた著作が、
ネット上の素人の指摘でその正当性が覆されることになったのは、極めて現代的だと思う。

 真偽の程は分からないが、仮にパクリがあったとしても、
これほどインターネットが普及していなければ、
ごく一部で「これパクリじゃない?」と内輪ネタで終わっていたかもしれない。

 ましてや、今回の五輪エンブレム騒動のように、ベルギーの名もない劇場のロゴマークと似ている
などという指摘は受けなかったに違いない。

 小保方さんの件も含め、今回のエンブレム騒動を見るにつけ、
オリジナリティとは何なのか?ということをつくづく考えさせられた。

 たとえば、五輪エンブレムのように抽象的な図形の組合せを用いた場合、
似たようなデザインになることはあり得ると思う。

 論文にしても然りで、引用する際のルールを順守するのは勿論だが、
それ以外の文言で似た言い回しが出てくることはよくある事だし、
一言一句、異なることの方がレアと言える。

 となると、どこからがパクリで、どこまでがセーフなのか?線引は大変難しく、
その判断を専門家と言われる少数の人達だけの判断に任せるのは到底無理がある。

 むしろ、限られた専門家より大衆の判断に委ねた方が賢明なのかもかもしれない。

 今後、再度エンブレムの公募が行われるようだが、
同じ轍を踏まないためにも、選考にあたっては公募された作品を全てネット上で公開し、
類似デザインがないと衆目の一致を得た作品についてのみ、
ネット上で選考するのも手かもしれない。