安部首相が、自らの政治生命を掛け、衆議院を解散することを宣言した夜(11/18)、
本来なら、ニュース番組では、官邸からの中継を交え、「衆議院解散」」を大々的に報じるはずが、
「高倉健死去」のニュースが伝わると、関心は「衆議院解散」そっちのけで「高倉健」へと向けられた。
 
 報道ステーションに至っては、冒頭、延々と高倉健がらみの追悼映像が流れ、
10分ぐらいして、ようやく「衆議院解散」を報じた。
 
 「○○解散」というネーミングが定まっていないようなので、
いっその事、「高倉健追悼解散」とした方がいいのではなかろうか?
 
 その過熱とも言える「高倉健死去」の報道を目にした息子(平成2年生まれ)は、
「この人ってそんなに有名だったの?」と私に問いかける。
 
 「アホか、お前!高倉健を知らないでは日本人と言えないぞ!!」と毒づいてみたものの、
平成生まれの世代にとっては、生まれた時には既に60歳近い初老の俳優であり、
リアルタイムで「高倉健」の演技に感動した体験もないのだから、致し方ない反応なのかもしれない。
 
 亡くなった高倉健(本名:小田 剛一)は、昭和6年生まれで、私の親父の2歳年上。
 
 まさに戦中戦後を生き抜いた「昭和の男」である。
 
 そんな彼の主演映画を初めてみたのは、1982年(大学2年)の『海峡*』だったと思う。
*主演:高倉健、共演:吉永小百合、青函トンネル完成にまつわる人間模様を描いた作品
 
 実は『E.T.』を観に行ったのだが、当時は洋画全盛の時代で、満席で座ることができず、
立見もいやだったので、仕方なく「邦画にしとくか!」と観たのが『海峡』だったのだが、
予想に反して私の琴線に触れ、もの凄く感動したのを覚えている
 
 それまで、高倉健=ヤクザという印象しかなかったのが、そのイメージがこの作品で一新された。
 
 その後、高倉健のファンとなり、南極物語、、ブラック・レイン、鉄道員、ホタルなどなど、
封切りされると、いそいそと映画館に出かけて観たが、
そこに描かれる「昭和の男」の無骨で、実直な生き様は、「日本男児、かくあるべき」と
私の心をうち、最後は必ず涙したものだった。
 
 「昭和の男」は、義理人情に篤く、ホントは涙もろいが、人前で泣くことは決してしない。
そして、家族・会社・国のために粉骨砕身して尽くすものの、家庭にあっては頑固オヤジで通し、
女房子供に優しい言葉をかけることはない。
 
 今の御時世、まったくもってこんな「昭和の男」は受けないが、
「高倉健」は、一生涯そんな「昭和の男」を演じ続けた。
 
 聞くとことによると、実は11/10に既に亡くなっていたそうだが、
故人の遺志で、密葬も済ませた11/18になって公表された言う。
 
 最後の最後まで俳優「高倉健」を演じ切り、
「昭和の男」のまま天国に旅だった彼の生き様に敬意を評し、
心から御冥福をお祈りいたします。