米川直樹先生のご退職に寄せて

三重大学教育学部保健体育科教員・OB(米川直樹先生:中列左から2人目)
米川先生と私は,実は同期である.とは言っても年齢は,私より一回り以上も米川先生が上でいらっしゃるのだが,2人とも1990年4月1日付けで辞令を受け,三重大学教育学部保健体育科に着任したので,会社で言えば同期入社ということになるのだろう.
当時,私はまだ28歳の駆け出しで,大学教員の何たるかも知らない新米教員だった.それに引き換え,米川先生は既に皇學館大学において長年に渡って教鞭をとられた経験を携えて三重大学にいらっしゃったので,同期などというのは,本当はおこがましい.しかしながら,優しい米川先生はそんな若造に対して,微塵も偉ぶることなく,同時期に着任した同僚として,私の事を公私にわたって気に掛けて下さったのである.
米川先生を一言で評するなら,「気配りの方である」.スポーツ心理学をご専門となさっているからなのか,人とのコミュニケーションをとても大切にされ, 常に気配りを忘れない.誤解を恐れないで言えば,時には「気を遣いすぎ」と思えるほど,周りの方への配慮を欠かされたことはない.そんな米川先生から「あんな,高木くん,おせっかいかもしれんけど,◯◯した方がええんちゃうかな~」こんな風なアドバイスをよく頂く事があった.今思うと米川先生のアドバイスがあったからこそ,若造がなんとか大きな問題も起こさず(実は些細な失態は数多く有ったのだが)大学教員の道を歩み始め,今日に至っているのだと思う.
米川先生の人望の厚さを語るエピソードは数々あるが,特に思い出深いのは,お昼時の「サロン米川」の存在である.何が切っ掛けでそうなったかは定かではないが,決まってお昼時になると,保健体育科教員の多くが,米川先生の研究室に三々五々,自分のお弁当を持って集まり,談笑しながら食事をするのが習わしだった.時には米川先生が居ないのにも関わらず,勝手にマスターキーで研究室の鍵を開け,お茶を沸かして,ランチタイムを楽しむこともあった.そんな時でも,米川先生はいつもニコニコしながら,「ええよ~いつでも好きに使って~」と言って自分の研究室を社交の場として提供して下さり,教員同士の連帯の輪の中心にはいつも米川先生がいらした.
また私が筑波大学に転任した後も,何かにつけて気に掛けて下さった.ある時,私が男子水球日本代表チームを監督となり,米川先生のお膝元の鈴鹿スポーツガーデンプールで合宿した折には,わざわざ差し入れを持ってプールに激励に来て下さったのである.「なんとか結果を残さねば」と焦っていた私にとって,久々に見る米川スマイルは,本当に気持ちを穏やかにする癒やしを与えて下さった.
そんなこんなで,とにかく米川先生にはお世話になりっぱなしで,感謝の気持ちでいっぱいである.ご退職後も是非ご健康に留意されて,いつまでもニコニコ元気印の米川先生であって欲しいと願っております.本当にお疲れ様でした.
平成26年2月25日
筑波大学体育系教授
高木英樹