夏休みの課題図書としていた、村上春樹の「1Q84」を読み終えた。
発売される前から超話題作としてマスメディアに取り上げられ、
NHKまでもが発売当日(5月29日)、書店にうずたかく積まれた「1Q84」の映像を流すほど、
社会現象化した話題作を、
いまさら読んでコメントするのは、
周回遅れのランナーがゴールインするようなもんで、
興ざめもいいところだが、自分なりには「意図」があって、あえてこの時期に読んだ。
NHKまでもが発売当日(5月29日)、書店にうずたかく積まれた「1Q84」の映像を流すほど、
社会現象化した話題作を、
いまさら読んでコメントするのは、
周回遅れのランナーがゴールインするようなもんで、
興ざめもいいところだが、自分なりには「意図」があって、あえてこの時期に読んだ。
まずは、村上春樹による7年ぶりの長編小説だけに、
まとまった時間の取れるときに「集中して、一気に読んでしまいたい」と思ったこと。
まとまった時間の取れるときに「集中して、一気に読んでしまいたい」と思ったこと。
もうひとつは、「1Q84」の書評が出揃い、評価がある程度定まったところで、
自分が読み終えた直後の感触とすり合わせてみたいと思ったからである。
自分が読み終えた直後の感触とすり合わせてみたいと思ったからである。
ふつう、自分が面白ければ、他人がどんな感想を持とうと、お構いはしないのだが、
こと村上作品となると、数多く散りばめられているであろうメタファー(隠喩)を
どう解釈するのか、書評等を手掛かりに、再度自分の中で反芻(はんすう)してみたかったのだ。
こと村上作品となると、数多く散りばめられているであろうメタファー(隠喩)を
どう解釈するのか、書評等を手掛かりに、再度自分の中で反芻(はんすう)してみたかったのだ。
実際に「1Q84」を読み終えて、先ず私を突き動かしたのは、
作品の冒頭で、女性主人公の「青豆」が渋滞する首都高上のタクシーの中で聞いた
Leo Janaek(ヤーナチェック)のシンフォニエッタを
ぜひとも聴いてみたいという衝動であった。
作品の冒頭で、女性主人公の「青豆」が渋滞する首都高上のタクシーの中で聞いた
Leo Janaek(ヤーナチェック)のシンフォニエッタを
ぜひとも聴いてみたいという衝動であった。
この曲が、主人公たちをもう一つの世界へ誘う扉を開ける重要な鍵となるわけだが、
私ものシンフォニエッタを聴きつつ、自分が実在した1984年に思いをはせてみた。
私ものシンフォニエッタを聴きつつ、自分が実在した1984年に思いをはせてみた。
1984(昭和59)年、私は筑波大学の4年生であった。主人公の川奈天吾も筑波大学出身で、
『「第一学群自然学類数学専攻」という奇妙な名前のついた学科を卒業』(p.44)した
設定となっている。
『「第一学群自然学類数学専攻」という奇妙な名前のついた学科を卒業』(p.44)した
設定となっている。
主人公の天吾と青豆は、1984年にもう一つの世界である1Q84に引き込まれるわけだが、
その時、私は何をしていたのだろう?
その時、私は何をしていたのだろう?
今のように就職の心配をする必要もなく、逆に「なんでもやれる」という
根拠のない自信に満ち溢れていたように思う。
根拠のない自信に満ち溢れていたように思う。
日本の社会も、バブル直前で、株価や地価は常に右肩上がりで、
社会全体が熱狂する直前の微熱に浮かれているような時期であった。
社会全体が熱狂する直前の微熱に浮かれているような時期であった。
スポーツ界では、ロスアンゼルスオリンピックが開催され、旧共産国陣営のボイコットもあって、
日本の水球チームが五輪に出場することになった
日本の水球チームが五輪に出場することになった
政治的には、ロン・ヤス(ロナルド・レーガン米大統領と中曽根康弘首相)の蜜月時代を迎え、
外目からは安定した状態にあった。
外目からは安定した状態にあった。
巷では、「ピーターパン・シンドローム」という言葉が流行ったり、
CMでは「エリマキトカゲ」のおどけたしぐさが注目を集めた。
CMでは「エリマキトカゲ」のおどけたしぐさが注目を集めた。
今思うと、私も日本の社会も将来に対する不安を微塵も感じることなく、
虚構の豊かさを謳歌していたように思う。
虚構の豊かさを謳歌していたように思う。
しかしその裏側では、「1Q84」に描かれているような、
カルト教団の暗躍やドメスティック・バイオレンスが深刻の度を増していたのである。
カルト教団の暗躍やドメスティック・バイオレンスが深刻の度を増していたのである。
明と暗、日の光が強く当たる処ほど、影も暗くなるわけで、
まさに1984年は表向きの安寧とは逆に
社会の闇の部分では、地下鉄サリン事件のように後に社会を震撼させる病魔の
病原菌がはびこり出した時期と言えるだろう。
まさに1984年は表向きの安寧とは逆に
社会の闇の部分では、地下鉄サリン事件のように後に社会を震撼させる病魔の
病原菌がはびこり出した時期と言えるだろう。
文章中に登場する「リトル・ピープル」は、この病巣のメタファとして描かれているように思うが、
その実態については、Book1、Book2を読む限り、ベールに包まれたままである。
その実態については、Book1、Book2を読む限り、ベールに包まれたままである。
おそらくは、発行されるであろう続篇を待たないと、
「リトル・ピープル」の本当の意味は分からないであろう。
「リトル・ピープル」の本当の意味は分からないであろう。
いくつかの書評を読み、合点するところもあれば、
1984年に実存していた身とすれば、村上春樹のメッセージを曲解しているように思えるものもある。
1984年に実存していた身とすれば、村上春樹のメッセージを曲解しているように思えるものもある。
何れにしても、大人の課題図書としては、☆☆☆であるが、
夜10時以降に読むことをお勧めする。
夜10時以降に読むことをお勧めする。