北京オリンピックが終わり、日本は金メダル9個、銀メダル6個、銅メダル10個の、
計25個のメダルを獲得した。
計25個のメダルを獲得した。
個人的には、日本選手団は今回の五輪において、よく頑張ったと思う。
中国の台頭、次期開催国であるイギリスの復興。どこの国もこぞって、スポーツ振興に力を入れる状況で、金メダル9個(世界で8位)は、まずますの結果と言えよう。
日本の歴代メダル獲得数
上記の表を見ても、アテネは出来過ぎの結果であり、これまでの趨勢を見れば,次のロンドンでなんとか2ケタの金メダルを獲得したものである。
年号 開催地 金 銀 銅 合計 1988 ソウル 4 3 7 14 1992 バルセロナ 3 8 11 22 1996 アトランタ 3 6 5 14 2000 シドニー 5 8 5 18 2004 アテネ 16 9 12 37 2008 北京 9 6 10 25
上記の表を見ても、アテネは出来過ぎの結果であり、これまでの趨勢を見れば,次のロンドンでなんとか2ケタの金メダルを獲得したものである。
今回の五輪において、日本選手の活躍ぶりは、毎日毎日、テレビ放映されたが、
一方で、日本が出場していない種目に関しては、ほとんど見向きもされなかったのが現実である。
一方で、日本が出場していない種目に関しては、ほとんど見向きもされなかったのが現実である。
水球もご多分にもれず、地上波では放映されず、決勝戦も見られずじまいであった。
そんな中、水球競技では、ミラクルが起こったのである。

というのも、これまで7位(アトランタ)、6位(シドニー)、7位(アテネ)とBクラスで低迷していた
アメリカが予選リーグを4勝1敗の1位で通過し、準決勝では、セルビアを破るという、「北京の奇跡」を起こしたのである。
「なぜ低迷していたアメリカが突然強くなったのか?」その秘密を知りたくて、いろいろ調べてみた。
すると、アメリカ躍進の鍵を握る2人のKey manが浮かび上がってきた。
すると、アメリカ躍進の鍵を握る2人のKey manが浮かび上がってきた。
1人目は、ヘッドコーチのTerry Schroeder(テリー・シュローダー)。


シュローダー自身、オリンピック選手として活躍し、アメリカチームをロスアンゼルス五輪(1984年)と
ソウル五輪(1988年)で銀メダルへと導いた実績を持つ。
ソウル五輪(1988年)で銀メダルへと導いた実績を持つ。
私がシュローダーを直に見たのは、全盛期を過ぎたバルセロナ五輪であったが、彼はアメリカ水球界の正にヒーローであった。
そのシュローダーが、今シーズンからアメリカのナショナルチームを率いることになったのだ。
彼自身、「今のアメリカ水球を立て直し、メダルへと導くことは、困難で、大変挑戦的な課題である」と認識していたようである。
シュローダーが、監督になってまず課題としたのは、チームの結束を固めることであった。
そのためにシュローダーがしたのは、チーム全員でラフティングをしたり、一緒にキャンプしたり、海軍の訓練を体験するプログラムに参加したりと、一見水球とは関係ないことを、とにかくチームメイトみんなでやり,相互理解を深めることに腐心したとのことである。
これらの試みが功を奏したのが、今夏のワールドリーグであった。力がないわけではないが、どうしてもヨーロッパの強豪国に競り負けていたアメリカが、6月にイタリアで行われたスーパーファイナルで、セルビアには敗れたものの、見事準優勝に輝いたのである。
私個人の見解では、テリーが監督となる前にクロアチアから招へいしたRatko Rudić(ラトコ・ルーディッチ)のまいた種が、今になって花咲いたと言えるのではないだろうか?
今から4年半前、筑波大学はアテネ五輪に臨むアメリカナショナルチームと合同練習をしたことがある。その時の印象は、ルーディッチがクロアチア流のハードトレーニングを課して、有無を言わせず「ガンガン」トレーニングをさせていた。それは、私たちが見ても、「アメリカ人にはちょっと向かないんじゃない?」と思わせるほどであった。
案の定、結果的にはアテネ五輪でも結果は出ず、前出のとおり、7位に終わったのである。
今回監督がルーディッチからシュローダーに代わり、もともとポテンシャルが高かまっていたプレーヤーたちが、選手相互の信頼を深め、チームとしての団結が深まったことが、今回の快挙につながったのではないかと考えられるのである。
2人目のKey manは、アメリカチームのエース、Tony Azevedo(トニー・アゼベド)。

彼は、イタリア水球リーグのセリエAのBissolati Cremona(ビソラッティ・クレモナ)クラブで活躍した後,今年1月からクロアチアのJug Dobrovnik(ユーグ・ドブロニック)に移籍した 。
彼の他にも数名がヨーロッパの水球強豪チームでプレーをしているが、アゼベドは別格であり,かつてセリエAでの得点ランキングに食い込む活躍を魅せ,ヨーロッパでも彼の評価は極めて高い。
大学はスタンフォードに在籍し、在学中何度もAll Amerianに選出され、得点王にも輝いている。
北京五輪におけるアゼベドの活躍は目覚ましく、イタリアリーグで磨いたテクニックとクロアチアリーグでしのぎを削ることで獲得したスピードを駆使し、強豪クロアチアやセルビアを撃破する原動力となった。
実は、トニー・アゼベドのお父さんであるRicardo Azevedo(リカルド・アゼベド)とは懇意で、先のアメリカ遠征の際には、大変お世話になった。
その息子であるトニー・アゼベドが活躍してくれたことは、知り合いの息子がスターダムにのし上がっていくようなもので,私にとってもなんとなく「鼻が高い」感じがするのである。
いずれにせよ、監督のシュローダーとエースのアゼベドの存在が、20年ぶりのメダルをアメリカにもたらしたのは、間違いないのではなかろうか?