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 上記の写真は,2005年3月17日~4月1日の期間,筑波大学水球チームがスペイン遠征をした際,ジロナ(Girona)にあるGEEG水泳クラブ(Club Natación G.E.E.G.)と試合をし,試合後に両チームの選手が一同に会して撮影したものである.(そのほかの写真はこちらのサイトをご覧ください.[http://photos.yahoo.co.jp/ph/hideki_takagi_98/lst?.dir=/5917&.src=ph&.order=&.view=t&.done=http%3a//photos.yahoo.co.jp/]

 我々はスペイン滞在中,ずっとバルセロナに投宿していたので,ほとんどバルセロナ市内のチームとばかり練習試合を行っていたが,この折だけ,わざわざバスで1時間半かけて,ジロナへと出向いたのであった...と言うのも,GEEG.の水球監督は,私の20年来の親友であるぺペット(Josep Estrenjer,最前列左端)で,彼から「自分達のチームのどちらが強いか勝負しよう」と言う申し入れがあったからである.

 ぺペットと初めての出会ったのは,今から20年以上前の1985年,スペイン在住で,水球のコーチ経験もある房野氏(日大出身)の紹介で,テラッサ水泳クラブ(Club Natación Terrassa)から,4人の水球選手を筑波大学に招聘し(1985/7/15-8/15),水球の指導をお願いした時である.その4人の内の1人がぺペットだったのだ.残りは,マリオ(Mario Lloret),チャビ(Xavi Ricard),マニックス(Antonio)という面々で,今思うと,彼らとの出会いが,その後の私の人生に大きな影響を与えたのは間違いない..

 彼らが日本に滞在していた1ヶ月間,私は大学院生で時間に余裕があったので,ほぼ付きっ切りで世話をした.お陰で,初めて”はとバス”で東京観光したり,歌舞伎を見る機会にも恵まれた.コミュニケーションは,お互い片言の英語とボディー・ランゲージだったが,それでも意気投合し,「言葉は通じなくても,気持ちは通じるんだなー」と妙に感激したものだった.そして帰国の際に「次はお前がスペインに来い!面倒は俺達がみるから,,」ということになり,翌年単身でスペインへ行くことなったのである.

 向かった先は,バルセロナ近郊にあるテラッサ(Terrassa)という町で,チャビのアパートに転がり込んで,3ヶ月ほどお世話になった.当時(1986年頃)のテラッサは,人口15万人弱,市内のあちこちに繊維や陶器関係の工場が立ち並ぶ工業都市であった.しかし街中にはこれといった名所旧跡も無く,ちょっとくすんだ感じで,どこにでもある,ありふれた地方都市という印象だった.ところが今は,かつての工場跡など,産業施設を観光資源として活用する地域振興策"TURISMO INDUSTRIAL"が成功してかなりの賑わいだとか,,,

 その街にあった”テラッサ水泳クラブ”に私は練習生として所属していたわけだが,初めての欧州滞在で,見るもの聞くものすべてが物珍しく,まさにカルチャーショックの連続だった.特に水球に関しては,脚の使い方の違いに驚き(当時,日本では垂直姿勢で巻き足をしていたのに対して,スペインでは水平に近い姿勢で"引き足"を多用),さらにゾーンディフェンスのシステムや退水ゾーンの攻め方など,日本とは異なるコンセプトでゲームが展開されるのに,さらに驚かされたのである.

 さて,話をGEEGとの試合に戻すと,ぺペットとしては親友であるがゆえに,私のチームには負けたくないと言う思いがあったようだ.さらにぺペットは,筑波大学チームのコーチをしていた経験(1987/9/27-1988/3/4)もあり,日本人選手のプレースタイルを良く知っていたので,対策も万全を期して試合に臨んだと思われる.

 ところがふたを開けてみると,試合序盤は筑波ペース.得意のカウンターアタックや攻防の切り替え時の退水を活かして,筑波が点数を重ねた.GEEGとしては思わぬ苦戦にやや焦りが見えた.ところが3ピリオドに入ると,雲行きが怪しくなってくる.笛が急に”アウェーの笛”になり,筑波の主力選手が永久退水をくらってしまう.点差はあれよあれよという間に縮まり,8-8の同点に追いつかれるはめに.しかしここで焦りは禁物.こちらは苦しいながらも泳ぎまくり,相手の猛攻を何とかしのぎ,勝ち越し点となるカウンターを決めて,1点リード.最後は,相手のミスに乗じてさらに得点し,結局10-8で,G.E.E.G.に勝利した.

 相手選手たちは「まさかあんなチビ達に負ける」とは思っていなかったようである.初めての出会いから二十数年を経て,お互いに監督としてチームを率いて対戦し,ぺペットのチームに勝利することができた.私にとっては思い出となる1勝であり,「してやったり」の試合であった.

 試合後,私はぺペットの住むトサ(Tossa de Mar)に移動した.トサは,コスタ・ブラバ(Costa Brava)と呼ばれるスペイン有数の海岸リゾートにある村.そこには既に引退してテラッサから引っ越してきたぺペットの両親も住んでいた.ぺペットのお母さんには,私がテラッサ滞在中,本当にお世話になり,私にとっては”スペインの母”と言える存在.感激の再会を果たし,昔話に花を咲かせた.

 また遠い日本から友人が来たということで,ぺペットがパーティーを開いてくれ,奥さんのカルメンや”やんちゃな”な3人の子供達に加え,友人家族がトサのシーフードレストランに集合した.21年前に訪れて以来,スペインは何度も訪れているが,おいしいワインとスペイン料理に舌鼓を打ちながら,陽気でフレンドリーなスペインの友人達との談笑は,この上なく幸福を感じるひと時である.

 これからもずっとこうした関係を大事にしたいものである.