



3日が過ぎて街の様子も大体分かってきた.歩き回るのが好きなので,観光名所といわれる所はほとんど行きつくした感がある.でもオーロ・プレットは坂が多いのでかなり難儀する.坂の多い街として,例えば,国内であれば長崎とか,海外であればサンフランシスコなんかが有名だが,オーロ・プレットに比べると,番付で行けば,所詮「前頭」程度と言う感じである.
じゃ,「お前は横綱を知ってんのか?」と問われそうだが,実は私,かつてギネスブックにおいて「世界一急な坂」として認定されたBaldwin Street(ダニーデン,ニュージーランド)に住んでいたことがあるので,知っていると言えば知ってることになる.しかるに,私が訪れた中で,ダニーデンを「横綱」とするなら,差し詰め「小結」はベルガモ(イタリア),「関脇」はナザレ(ポルトガル)あたりだろうか,そうするとオーロ・プレットは堂々の「大関」という番付になるだろう.
地図上で見ると(と言っても観光用の地図なので等高線もなく,縮尺もいい加減なのだが),すぐ近くにあるはずなのに,行こうとすると,坂を一旦下り,その後延々と急坂を登り,20分も歩き続け事もざらである.それに下が石畳の上に,スペインあたりとは違って「ガタガタ」なので,街中を歩くのに登山用の靴が必要なくらいだ.大げさではない,雑貨屋に水を買いに出るのにも,それなりの装備が必要で,ちょっと「つっかけ」でという訳には行かないのである.
驚くのは坂だけではない.オーロ・プレットは,今から300年以上前に金鉱が発見されて,ゴールドラッシュに沸き,かつては黄金郷として栄華を誇った古都である.しかし金が掘りつくされ,1893年に州都が別の地に移されると,急速に勢いを失い,街としてはその時点で発展が止まってしまった感がある.「時間の止まった街」,それが驚きの理由である.
往事の隆盛を今に留める建造物があちこちに点在しするが,その保存状態はお世辞にもよいとはいえない.現在は観光が主な収入源であろうが,インフラの整備や歴史的建造物の修復に十分な資金が回らないのかもしれない.しかしそんなことは,地元の人にとっては大きなお世話である.発展しようがしまいが,人々の生活は300年前から連綿と続いている.日本人の価値観からして,前近代的とか不便だとか言っても,彼らにとっては今が現実である.ネクタイを締めて,すし詰めの地下鉄に乗って,丸の内の高層ビルで働く日本人を見て,彼らはうらやましいとは思わないだろう.
オーロ・プレットを訪れて久々,カルチャーショックを受けた.ところ変われば,文化の違いは当たり前.そんなことは頭では十分に分かっていたつもりだが,ここに来て軽い目眩に襲われた気分だ.でもこの目眩,標高1200mにある街の急坂を上り下りしたせいもあるかもしれない.