2007年6月、新国立劇場にて「Life Casting-型取られる生命ー」が二部構成で上演された。第一部は,平山素子のソロ作品「Twin Rain」。キャッチフレーズは「細胞は記憶していた。だから私は人間の形をして、涙の意味を映し出す」。3-Dデジタイザを用いて光造形法で作成された等身大の自分の像と絡み合い,平山は重力に抗うようにゆっくりと,そして滑らかに舞った。
実はこの像にお目にかかるのは2度目で,1度目は2006年7月,銀座のコバヤシ画廊で開催された渡辺晃一個展『Danae ×平山素子』であった。像を作るにあたっては,NECが開発した3-Dデジタイザ「Danaeシリーズ」が用いられたと言う。この装置,様々なポーズをとる身体をスキャンし,実物の形状を約0.2mmの精度で忠実に捉え、3次元データ化することが可能という優れもの。得られた3次元データを元に,光を光硬化性樹脂に照射すると,光が当たった部分だけ樹脂が硬化し,モデルが再現されるわけである。
よく実物そっくりの蝋人形などを見ると,確かによくできていると思うが,なんとなく滑稽で,リアリティーに欠ける。しかし光造形法で作られた今回の像は,衣装の皺はもとより,指関節の微妙な形状や表情筋ひとつひとつの緊張度合いも忠実に再現されている。
3-Dデジタイザの名称はギリシャ神話に登場する「Danae(ダナエ)」に由来するらしい!「ダナエ」とはペロポネソス半島にある国、アルゴスのアクリシス王の一人娘で,絶世の美女とされる。しかし,美し過ぎるが故にアクリシス王は娘の身を案じ,青銅の扉のついた塔に幽閉してしまう。それでもゼウス神の目にとまってしまい,ある夜、黄金の雨の雫に姿を変えて、ゼウスは塔に忍び込みダナエと交わる。貞操を守るために閉じ込めたはずのダナエに男の子が生まれ、アクリシス王は苦悩し、娘ダナエと孫ペルセウスを箱舟に閉じ込め、海に流してしまうというストーリー。
このギリシャ神話をモチーフとして,多くの画家がダナエ像を描いているが,もっとも有名なのがグスタフ・クリムトによる作品であろう。私もウィーンを訪れた際,クリムト展が開催されており,『ユディトI』 や『接吻』など,クリムトの代表作と共に赤裸々で官能的な『ダナエ』を鑑賞する幸運に恵まれた。
この『ダナエ』に勝るとも劣らない淫靡で官能的な踊りを2006年7月の舞台で平山は見せてくれたのだ。画廊の地下を舞台にしつらえたため,大変狭く,観客と踊り手の距離はそれこそ手を伸ばせば届く距離。「Danae」によって型取られた自らの像と絡み合うように踊る平山の息遣いが聞こえる。さらに大きく背の開いた衣装から隆起した広背筋が覗き,汗が伝うのさえ見える。まさに強靭でしなやかな平山の動きが手に取るように分かる稀有な舞台であった。
さて話を新国立劇場での「Twin Rain」に戻そう。平山は再び,新国立劇場小ホール上手の岩壁に置かれた自分の分身ともいえる像とねっとりと,そして濃厚に絡みあう。現代の科学技術を持ってすればクローン人間の創生も不可能ではないが,もし自分が自らのクローンと一緒に踊るとなると,何か薄気味悪い感じを拭い去ることはできないだろう。しかし平山は自らを型取った別の生命体と言うべき像とお互いの存在を確かめ合うように,愛撫するように舞った。
やがて分身と決別した平山の動きは次第に速く,激しくなっていく。そして舞台下手の岩壁の裂け目に見え隠れしながら,自らの苦悩と生きることへの執着を表現した。クライマックスでは,舞台中央の岩壁の扉が開き,平山が舞台裏に姿を消し,暗転して舞台終了かと思った瞬間,岩壁の一部に異変が起こり,生じた亀裂からドクドクと粘液が流れ出した。亀裂はさらに大きくなり,薄ぼんやりとしたスポットライトが当たる中,羊膜に包まれた胎児をイメージさせる平山がまさに生まれたままの姿で,ステージへと滑り出た。SF映画さながらのエンディングであったが,あの胎児はダナエがゼウスと交わって身篭ったベルセウスを象徴しているのだろうか?
それにしても平山は覚悟の人であると思う。自らの思いを伝えるために,丸裸になることも厭わず,贅肉をすべて削ぎ落とし,自らの身体で我々に鮮明なイメージを焼き付けた。今後も度肝を抜くような斬新な演出で,我々を堪能させてくれるに違いない。次の舞台が待ち遠しい。
実はこの像にお目にかかるのは2度目で,1度目は2006年7月,銀座のコバヤシ画廊で開催された渡辺晃一個展『Danae ×平山素子』であった。像を作るにあたっては,NECが開発した3-Dデジタイザ「Danaeシリーズ」が用いられたと言う。この装置,様々なポーズをとる身体をスキャンし,実物の形状を約0.2mmの精度で忠実に捉え、3次元データ化することが可能という優れもの。得られた3次元データを元に,光を光硬化性樹脂に照射すると,光が当たった部分だけ樹脂が硬化し,モデルが再現されるわけである。
よく実物そっくりの蝋人形などを見ると,確かによくできていると思うが,なんとなく滑稽で,リアリティーに欠ける。しかし光造形法で作られた今回の像は,衣装の皺はもとより,指関節の微妙な形状や表情筋ひとつひとつの緊張度合いも忠実に再現されている。
3-Dデジタイザの名称はギリシャ神話に登場する「Danae(ダナエ)」に由来するらしい!「ダナエ」とはペロポネソス半島にある国、アルゴスのアクリシス王の一人娘で,絶世の美女とされる。しかし,美し過ぎるが故にアクリシス王は娘の身を案じ,青銅の扉のついた塔に幽閉してしまう。それでもゼウス神の目にとまってしまい,ある夜、黄金の雨の雫に姿を変えて、ゼウスは塔に忍び込みダナエと交わる。貞操を守るために閉じ込めたはずのダナエに男の子が生まれ、アクリシス王は苦悩し、娘ダナエと孫ペルセウスを箱舟に閉じ込め、海に流してしまうというストーリー。
このギリシャ神話をモチーフとして,多くの画家がダナエ像を描いているが,もっとも有名なのがグスタフ・クリムトによる作品であろう。私もウィーンを訪れた際,クリムト展が開催されており,『ユディトI』 や『接吻』など,クリムトの代表作と共に赤裸々で官能的な『ダナエ』を鑑賞する幸運に恵まれた。
この『ダナエ』に勝るとも劣らない淫靡で官能的な踊りを2006年7月の舞台で平山は見せてくれたのだ。画廊の地下を舞台にしつらえたため,大変狭く,観客と踊り手の距離はそれこそ手を伸ばせば届く距離。「Danae」によって型取られた自らの像と絡み合うように踊る平山の息遣いが聞こえる。さらに大きく背の開いた衣装から隆起した広背筋が覗き,汗が伝うのさえ見える。まさに強靭でしなやかな平山の動きが手に取るように分かる稀有な舞台であった。
さて話を新国立劇場での「Twin Rain」に戻そう。平山は再び,新国立劇場小ホール上手の岩壁に置かれた自分の分身ともいえる像とねっとりと,そして濃厚に絡みあう。現代の科学技術を持ってすればクローン人間の創生も不可能ではないが,もし自分が自らのクローンと一緒に踊るとなると,何か薄気味悪い感じを拭い去ることはできないだろう。しかし平山は自らを型取った別の生命体と言うべき像とお互いの存在を確かめ合うように,愛撫するように舞った。
やがて分身と決別した平山の動きは次第に速く,激しくなっていく。そして舞台下手の岩壁の裂け目に見え隠れしながら,自らの苦悩と生きることへの執着を表現した。クライマックスでは,舞台中央の岩壁の扉が開き,平山が舞台裏に姿を消し,暗転して舞台終了かと思った瞬間,岩壁の一部に異変が起こり,生じた亀裂からドクドクと粘液が流れ出した。亀裂はさらに大きくなり,薄ぼんやりとしたスポットライトが当たる中,羊膜に包まれた胎児をイメージさせる平山がまさに生まれたままの姿で,ステージへと滑り出た。SF映画さながらのエンディングであったが,あの胎児はダナエがゼウスと交わって身篭ったベルセウスを象徴しているのだろうか?
それにしても平山は覚悟の人であると思う。自らの思いを伝えるために,丸裸になることも厭わず,贅肉をすべて削ぎ落とし,自らの身体で我々に鮮明なイメージを焼き付けた。今後も度肝を抜くような斬新な演出で,我々を堪能させてくれるに違いない。次の舞台が待ち遠しい。