巡礼者の読経が町のあちこちから湧き立ち、それを合図に今日が始まる。
仏陀が悟りを開いた地「ブッタガヤ」

女は道端の井戸で洗濯し、水を浴び、
男は牛を引いて田を耕す。
ヤギ飼いは彼らを平原へと誘い、
青空の下、必死に学を身につけようと子供たちが黒板に向かう。

時間がゆっくりと流れてゆく。
のどかな平原に囲まれたこの町は、時を越えた信仰が創り出した楽園なのかもしれない。
『地球を駆ける少年』 『地球を駆ける少年』

-トトロの木-
別に宮崎駿がこれを見てトトロを描いたわけではないのだが、その形ゆえにこう呼ばれている。
町外れの木まで現地人を捕まえバイクを3人乗りして行ってきた。

近くによって見るとあまりに立派な木で、同心に戻って木のぼり。
ちょっと登って振り返れば10m近く登っていた。
木漏れ日、抜けていく風が気持ちいい。
『地球を駆ける少年』

-正覚山-
仏陀がこの山で6年間の苦行を行ない、結局悟りを開くことが出来なかった地。

「乾季に行くのがベスト」
その意味を正覚山目前にして思い知らされた。
見事に川で分断されている。。。
「これ。。。渡れんの?(゚д゚;) 」とドライバーに尋ねると、
「もちろんだよー!!歩いていくんだよー(*´ω`)ノ 」
川では牛が水浴びしている。ちょっとした沐浴気分で気持よかったが、
川幅50メートル。川の流れは意外にも早く、何度も足が取られそうになる。
『地球を駆ける少年』

正覚山の麓には小さな村がある。
インドと言えど、ある程度の都市に行けばインフラ整備が進み、
水道や電気は不自由ないほどである。
しかし一旦カントリーサイドまで来てしまうと、
信じられないような原始生活が残っているのもで、この村はまさにその典型。

「さすが仏陀が苦行を行った地だな」と納得。
『地球を駆ける少年』
「山まで登るか?」と聞かれたが、ホーリーマウンテンに登るのはどうかと思い断念。
仏陀がみた景色を見てみたいという欲もあったが、同じ景色なら仏陀もこの貧しい町々の現状を見ていたはずだと、村を見てまわることにした。

そのホトンドの家が藁葺き屋根の土壁。2LDK(2ルーム土間キッチン)が主流のようだ。

最近になって電気が通ったらしいが、
最近になって井戸が枯れ、
最近になって学校が出来たものの、
最近になって物資が足りずに子供達はお菓子ではなくボールペンを欲しがる。


インドの中でもブッタガヤがある州が一番貧しいらしく、
その中でもこの村は格別かもしれない。

この国の急速な発展がこの村にも、
そのうち便利な生活を運んでくるのかと思うと、
今見れておけて良かったなと思う。

-寺院めぐり-

『地球を駆ける少年』 『地球を駆ける少年』 『地球を駆ける少年』


ブッタガヤには仏教国各国別に寺院が立っている。
もちろん我らが日本寺も立っている。

他にはタイやブータンなど俺が行けなかった国の寺院もあり、その違いを見ていると実に面白い。
タイは想像通りスゴ派手。
ブータンは建築装飾共にTibetと似てる。

日本寺では座禅を組むことも出来るらしいが、自分は誰もいない本堂で一人座っているだけで気持ちよかった。ひんやりした床に身を預けて、しばし考え事。

旅に出てから「熟考」することを覚えた。
考える時間が沢山あることもそうだが、それよりもやはり外部の刺激を存分に受けることで成長出来た気がする。熟考することは今の自分と向き合う手段だと気づく。

ちなみに俺がその時考えていたことと言えば、
「今晩の夕飯」である。
昨晩を振り返り、自分の胃袋と相談し、財布と向き合い、仲間と話し合い、一つの結果が出てくる。その結果が俺の心とシンクロしたときに「グー」という音が腹から聞こえる。熟考ってのは時にいいもんだと思う
食いたかった物が、バチッと胃袋に収まる。

今日もいい日だったなーと、
明日がまた更に楽しみになる。

ひでき。