「塩狩峠」は、主人公の人生を読み進む小説です。
主人公はキリスト教徒で、子どものころからあたたかい人間たちに囲まれて成長します。
物語は、主人公が30歳を過ぎたときに突然に終わります。
物語の中で、伝道師から、どこでもいいから聖書の一節を実践してみなさいと言われる場面がありました。
そして主人公は聖書の中のたった一つの言葉ですら実践できないことを思い知った場面がとても印象的。
人間は誰もが弱く不完全だから、それはとても困難なこと。まさに「義人なし、一人だになし」。
主人公は気づく、自分こそが本当に助けてもらわなければならない罪人だったと。
ラストは主人公が結納を交わすために汽車で札幌に向かう場面でした。
汽車が峠にさしかかり、主人公が乗り合わせた客車がはずれます。
レールの上を逆走しました。主人公は、何とか列車をとめようと
自分の体を列車の下敷きにして客車を止めました。
実はオイラはキリスト教徒です。主人公はカトリックで、オイラはプロテスタント。
宗派はちがうけど、主人公のまぶしいぐらいの人間愛に悲しくなりました。
だってそうでしょう。どうしてそんなことができるのでしょうか?
この本は自分の中にずっしりと存在感を残しました。
そして感動した。涙がでた。本を読んで初めて声を出して泣いた。
塩狩峠は実話を基にしています。
1909年 (明治42年)2月28日 、ここ塩狩峠の区間に差し掛かった旅客列車 の客車 最後尾の連結器 が外れて
客車が暴走しかけたところ、当時鉄道院 (国鉄の前身)職員でありキリスト教徒 であった長野政雄という人物が列車に身を投げ、客車の下敷きとなり乗客の命が救われたという事故が起こった。
現在、塩狩峠の頂上付近にある塩狩駅 近くには、この事に対する顕彰碑が立てられている。
またこの実話を元に、三浦綾子 が小説 『塩狩峠』を書き新潮文庫から出ている。
これは殉職といわれるが、事故死という意見もあり、三浦綾子の小説のあとがきに殉職説と事故説について
取材した内容が載っている。
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