2001年12月28日の日記より
ボランティアということ。(チャリティーに思う)
今回、秀樹のコンサートでチャリティーの事を知った。時が迫り桑名さんのHPへ出入りするようになって、何だろうとても暖かいものを感じた。そして、このチャリテキーの意味を知るにつれ、秀樹が参加しているからではないものが、次第に膨らんで行った。
私は、今から9年ぐらい前から、視覚障害者の為の朗読ボランティアを始めました。そして、その団体の主宰する「ふれあいさい」に参加するようになり、ハンデを持たれた方やご家族の方が集る場でMCなどをさせて頂いた。また、ハンデをお持ちの方へ微々たるものであるがお手伝いをさせて頂いて来ていましたから、このチャリティーに関して、ごく自然に参加しようと思えたのでした。
回りには、ボランティアというと、何だか凄い事のように思って尻込みをする方が多い。確かに専門的な事は出来ないことの方が多いかも知れない。しかし、専門的な事だけがボランティアなのだろうか?私はたまたま芝居をやってきていたから、朗読ボランティアと言う事に自然と入っていけたことも事実としてあるかも知れない。だが、芝居をやっていなくても、子供に対して読み聞かせをして寝かしつけた経験のある方は多いと思う。だから、尻込みしないで、子供への読み聞かせだと思って、参加してみると良いのではないかと思う。専門知識がどうしてもいるのは、医療に関わるボランティアだと思うのである。私たちが身近で出来るボランティアは探せばキリがないくらいに見つかる。電車で席を譲る事だって、お先へどうぞと言う気持ちで接する事だって然りだと思うのであります。難しく考えるとボランティアは出来ないと思う。勿論生半可な気持ちでは困るのだけれど、先に挙げたような事ならば日常の中でいくらでも出来る事だと思うのです。
私にとって、ボランティアは昔から付いて回ったと思う。産まれた時にすでにハンデを持って産まれてきたから、自然な感情なのだとは思うのだが.....身体が弱くなければ「青年海外協力隊」に行きたいと思った事はいくらでもある。今でも、行けたらと思ってしまうときもある。転んだら一人で起き上がる事が出来ないくせに、こう思ってしまう自分がいる。だから、このチャリティの事は私にとって、「よし!コレなら出来る!」と思ったのです。昔の芝居仲間や、今も付き合いのある芝居関係者や、会社関係に宣伝することは出来る!と。自宅での印刷代金などは、桑名さんに比べたら、100分の1も出せていないわけだからね。この位なら何とかなる!と思っているのです。
手始めとして、今回、色々な掲示板にカキコさせて頂いた。所がそれで、迷惑を掛けてしまった所もあった。この場を借りて、お詫びしたい。短絡的な発想ゆえ、こうと思ったらそれに突っ走ってしまう傾向と、人に誤解を与えやすい部分を持っているので、時々こう言うことになってしまう。しかし、誤解を与えてしまった事は事実なのです。誤解を与えるような発言をしてしまって、申し訳ありませんでした。以後気をつけます。
今回、秀樹のコンサートでチャリティーの事を知った。時が迫り桑名さんのHPへ出入りするようになって、何だろうとても暖かいものを感じた。そして、このチャリテキーの意味を知るにつれ、秀樹が参加しているからではないものが、次第に膨らんで行った。
私は、今から9年ぐらい前から、視覚障害者の為の朗読ボランティアを始めました。そして、その団体の主宰する「ふれあいさい」に参加するようになり、ハンデを持たれた方やご家族の方が集る場でMCなどをさせて頂いた。また、ハンデをお持ちの方へ微々たるものであるがお手伝いをさせて頂いて来ていましたから、このチャリティーに関して、ごく自然に参加しようと思えたのでした。
回りには、ボランティアというと、何だか凄い事のように思って尻込みをする方が多い。確かに専門的な事は出来ないことの方が多いかも知れない。しかし、専門的な事だけがボランティアなのだろうか?私はたまたま芝居をやってきていたから、朗読ボランティアと言う事に自然と入っていけたことも事実としてあるかも知れない。だが、芝居をやっていなくても、子供に対して読み聞かせをして寝かしつけた経験のある方は多いと思う。だから、尻込みしないで、子供への読み聞かせだと思って、参加してみると良いのではないかと思う。専門知識がどうしてもいるのは、医療に関わるボランティアだと思うのである。私たちが身近で出来るボランティアは探せばキリがないくらいに見つかる。電車で席を譲る事だって、お先へどうぞと言う気持ちで接する事だって然りだと思うのであります。難しく考えるとボランティアは出来ないと思う。勿論生半可な気持ちでは困るのだけれど、先に挙げたような事ならば日常の中でいくらでも出来る事だと思うのです。
私にとって、ボランティアは昔から付いて回ったと思う。産まれた時にすでにハンデを持って産まれてきたから、自然な感情なのだとは思うのだが.....身体が弱くなければ「青年海外協力隊」に行きたいと思った事はいくらでもある。今でも、行けたらと思ってしまうときもある。転んだら一人で起き上がる事が出来ないくせに、こう思ってしまう自分がいる。だから、このチャリティの事は私にとって、「よし!コレなら出来る!」と思ったのです。昔の芝居仲間や、今も付き合いのある芝居関係者や、会社関係に宣伝することは出来る!と。自宅での印刷代金などは、桑名さんに比べたら、100分の1も出せていないわけだからね。この位なら何とかなる!と思っているのです。
手始めとして、今回、色々な掲示板にカキコさせて頂いた。所がそれで、迷惑を掛けてしまった所もあった。この場を借りて、お詫びしたい。短絡的な発想ゆえ、こうと思ったらそれに突っ走ってしまう傾向と、人に誤解を与えやすい部分を持っているので、時々こう言うことになってしまう。しかし、誤解を与えてしまった事は事実なのです。誤解を与えるような発言をしてしまって、申し訳ありませんでした。以後気をつけます。
2001年12月23日の日記より
21日の日、東京では雪が降りました。次の日は、ディナーショーです。さとりんも九州から来ます。雪がこのまま積もったら、どうしよう...心配していました。しかし、当日、晴天に恵まれました。う~ん!晴れ女健在!!そんな事を思いながら、朝目覚めました。しかし.....気が付くと10時を回っているではありませんか!!やっばい!さとりん、11時半には羽田に着くのに、大急ぎで飛び起き、着替えすっ飛んで家を出ました。羽田に着いたのは、11時を回った頃。ホット一息胸をなでおろし、お茶を飲みながらさとりんを待ちました。飛行機が着き、さとりんとのご対面!送ってもらった写真の通りの素敵な方でした。二人で、お昼を食べに、蒲田へと直行。蒲田では、パスタセットを食べ秀樹の事や子供の事を話しました。で、ふと気付いたのです。家を慌てて飛び出したものだから、なんとチケットを忘れたことに!!キャ~どうしよう...そうだ、娘だ!急いでメールをし、チケットを持ってきてもらいました。ホッ!
食事を終え、秀樹へのプレゼントに入れるカード等を探しに駅ビルを梯子。その後、ホテルへと向かいました。
新高輪プリンスホテルは、坂の上にあり、しんどかったです。タクシーにすれば良かったと後悔しきりでした。ホテルについて、冠婚の時しかしない化粧をして、一息いれにロビーにある喫茶店へ向かいました。色々探そうと2階で降りましたが、客室しかない感じだったので、1階へと向かうエレベーターの中で、岩ちゃん(物まねの上手い人・フルネームが解らない)が乗っていました。1階まで、岩ちゃんと一緒でした。グラサンを掛けていましたが、すぐ解りました。秀樹の物まねを、昔しましたものね。喫茶店に入り、お茶を注文、何気なくロビーを見ると、「あ、秀樹だ」と叫んでしまいました。秀樹がスタッフとロビーを普通に歩いてくるではありませんか。さとりんと慌てて秀樹の側へ。至近距離で秀樹を見ていました。秀樹の知り合いらしい男性が秀樹に近づいて、声を掛けたので、秀樹はしばらくそこに留まっていました。ですから、秀樹の側で、さとりんとじ~っと秀樹を見つめてしまいました。早くにホテルに着いて、お茶をしていたので、本当にラッキーでした。その時は、何も持っていなかったので、サインもお願いできずじまいでした。後からさとりんと「惜しかったね」と話しました。でも、こんな側で、秀樹に会えたので、ラッキー以外の何もでもありません。ポーっとしながら、ふたりでお茶を飲み、ホテル内のコンビニで買い物をしてから着替えに部屋へ戻りました。二着に絞れたけれど、どっちにしようか迷っていたので、さとりんに見てもらって、羽根の着いた前スリットのはいったドレスに、薄黄色のストールと言う格好に着替えました。ホントにこんな格好は、DSだから出来る格好で、普段なら恥かしくて絶対出来ない格好です。でも、まあこの時だからと、思いきって着ました。時間がなかなか進まない感じでしたので、18時チョット前に飛天の間へ向かいました。
飛天間で受付をし、座席券を貰いました。さとりんはB番号、私はI-1でした。これがどう並ぶのか解らないまま、「どうなるんだろうね」と飛天の間の待合室のような所で座って話しながら、久留米での出来事を話してもらいました。もう、ドキドキワクワクが最高潮に達してきていました。ですから、メールで始まるよ~とかの報告をしてしまいました。待っているとき、隣にAKIKOさんがいらしたのですが、お友達とご一緒のようだったので、お声がけはしませんでした。「会場です。」の声にふらふらと並び、会場に案内されました。きちんとひとりずつとかグループ毎に、ホテルの方が席まで案内してくれるのです。きゃ~、秀樹じゃないけど、お姫さま気分でした。そして、案内された席は、ななな何と、一番前!ビックリするやら嬉しいわどうしたら良いか解らないまま、席に着くと、お料理がすぐに運ばれてきました。リストは以下参照してください。用意されたワインもシャンパンも美味しかったです。それから、カクテルが用意されていましたが、そのカクテルの名前が凝っていて、「ブーメラン・ハーツ」とか「ブルースカイブルー」なんて言うんですもの。私は頼まなかったのですが、一緒のテーブルの方が頼んでいたのです。洒落てますよね。秀樹らしいです。お料理も美味しくて、特にスープが美味しかったです。そして、デザートに出た、ミニクロカンブッシュ、絶品ですね。ご自身の披露宴の時に使ったんですよね。憎いほど洒落ていました。食事が美味しくて、お腹いっぱいになりました。また、私の大好きなコーヒーにチョコレートが憎い演出を更に高めていました。食事が終り身だしなみを整えて、いよいよ、ショーの始まりです!
場内のBGMが静かに終り、ステージが暗くなりバンドメンバーが入って来ます。定位置に着くと、演奏が始まりました。中央から、秀樹が登場!白の王子さまみたいな全身白の衣装でした。ロングジャケットに光沢のあるベスト、白の立ち襟のシャツに薄い光沢のあるグレーのタイ、白のパンツに白の靴。カッコイイ~。一番前の席で、うっとり見つめてしまいました。
一曲目歌い上げる秀樹、間奏で挨拶。二曲続けて歌いました。歌い終わり、改めて挨拶をし、「今日のDSは、気分が良いので、長めのバージョンで」と話して会場を沸せました。続いて、「今日は、洋楽・邦楽のスタンダード、また自分のスタンダードを歌っていきたい」と話し、「今歌った2曲は、日曜日の午後11時過ぎからの青春のポップスで、司会をさせていただいていますが、その中で良く歌う歌です。」「今の曲を、聴いたことのある人は、拍手してください」と言い、拍手を受けると「今ので大体の年齢が解りました」と笑わせてくれました。
曲の紹介をしてくれたのですが、洋楽おんちだった私は、覚えられませんでした。(曲一覧はしたに書きます。)3曲目も洋楽で、秀樹の好きな歌手、今は亡き『フランク・シナトラ』が歌った曲を「元曲そのままにポップに歌いたい」と言ってポップに歌ってくれました。そして、この曲でラウンドをしました。階段を軽やかに降りてくる秀樹が、目の前をゆっくり歩きます。プレゼントを渡すチャンスだってのですが、何となく渡せずそのまま目で追いながら、ドキドキしてました。
中央にステージが設けられていて、3曲目が終りました。そこでのコメント「今年は、色々ありました。ココは、僕が披露宴をした場所なんですが、みなさんを招いて2度目の披露宴のような気がします」「おめでた、ですが僕が産むわけではありません。今月の終わり頃に安定期に入るんですが、まだどっちかわかりませんが、名前を考えてしまいます。僕の本名は木本龍雄って言うんですが、男の子なら『秀樹』女の子なら『ひろみ』どっちかわからいような子なら『五郎』な~んて」とまたまた笑わせてくれました。「愛子も考えたんですよ」とも。そして「まあ、僕のことは置いといて」って次に日本の秀樹の先輩達の曲を2曲ほど歌ってくれました。
ステージへ戻り、スタンダード中のスタンダードNoをしっとりと歌い上げてくれました。そして、この曲のコメント「この曲は、洋楽ですが日本語でヒットして、僕としては邦楽のスタンダードだといっても良いのではないかと思います。」と。
雰囲気を変え、揚水さんも歌った「コーヒールンバ」を軽快にダンサーと一緒に踊りながら歌ってくれました。カックイイー!!ルンバ隊への質問で、このグループは何て言うの?するとメンバーの一人が「ルンバ隊」それを聴いて秀樹、「まんまじゃない」と。そして、メンバー一人一人に名前を聞いて「良い名前だな~、憧れてたんだよ~」な~んておじさん的発言を連発。サンバ隊が引っ込む時、後なんか追っちゃったりして、お茶目さを発揮してました。
そして、戻ってくると「そんな事は出来ないよね~」と言って、バンドメンバー紹介。例の、藤丸さんとの掛け合いで、本当に歌を勘違いして違う曲を口づさんだ様子。それがまた可笑しくて可笑しくて.....20年以上も一緒に仕事をしているメンバーとの暖かい雰囲気が良いですね。
でね、秀樹はほら、この間入院したでしょう。その時のことも話してくれたんです。秀樹が入院していた病院は「聖マリマンナ病院」大学病院なので、わか~い看護婦さんがいっぱいいるんですって、だから秀樹は毎日、病院で髪の毛を梳かしながら、どんな子が来てくれるんだろう~?って待っていたんだそうです。(ホントおじさん発想)でも、秀樹の特別室に来るのは、秀樹よりチョット上そうな婦長さんだったんですって。ある日、秀樹はその婦長さんに「何年生まれですか?」って聞いたそうです。そしたら婦長さん「34年です」って答えたそうです。秀樹は内心「うそだ~」と思ったんですって。で、また違う時に秀樹がお世話になっているからとJasmineのCDを渡したそうなんです。そしたら婦長さんは「ココではそう言うことは困ります」って答えたんですって。でも、秀樹は「まあ、良いじゃないですか、お世話になっているんだし」って言って渡したら、婦長さんが「そうですか~」って受け取ってくれたんだけど、その時の婦長さんの態度とか顔つきが嬉しそうだったみたいで、その事を可笑しく話してくれました。私、大笑いでした。本当にオモシロイ秀樹です。
で、自分の曲をってことで、最初にJasmineをアコギバージョンで歌ってくれました。フルだったと思う。何時も聴けない所が聞けましたしね。その歌の前に、「今年の12月31日、紅白に出られます。みなさんのおかげです」そして、また、例のごとく?「紅白で右手を上げて歌ったら、今日の日の事を思い出して歌っている、左手を上げて歌っていたら、今日の事はすっかり忘れていると思って下さい」な~んて笑わせてくれました。何時聴いてもJasmineは良いですね。今回はアコギバージョンでしたから、私は嬉しくて仕方なかったです。
そして、そしてお約束の「ヤングマン」ドレスで踊る YMCAは踊り難かったです!!でも、最初から立って踊りましたよ。年配の方や、男性の方も最後は立ってYMCAをやってくれた模様です。ココからは秀樹メドレーって感じでした。情熱の嵐では、掛け声を掛けていたんですが、秀樹ったら「誰が歌って良いって言ったんだよ~」「歌うなよ~」な~んて良いながらノリノリで歌ってましたよ。ギャランドゥが終って、「この曲は、僕不思議なんです」ちょっと歌ってみますね、ってアカペラで歌ったんです。すると会場から掛け声が。そうなんです。秀樹はこの掛け声に反応していたんです。そして「若い方は、こうやって掛け声を掛けてくれるんですね。でも、お年の方はなんか違うんですよね」と言って、もう一回アカペラで歌い出します。すると掛け声の所でいきなり秀樹自身が「へいへいほ~へいへいほ~」と。もう、可笑しくて可笑しくて、キャハハキャハハでした。でも、秀樹は一人ツッコミしながら「そんなわけないだろ~、そんな事言う人はいないよ」と。そして、僕のスタンダードをと言い「傷だらけのローラ」を歌ってくれました。何時聴いてもシビレルホド良い歌です。更にカッコ良くなっている気がします。
歌い終わり、静かに上手側へと消えていきました。時計を着にしていなかったので、え?!もう終り?と思ってしまいました。拍手をすると秀樹は今度全身黒の衣装でアンコールです。ジャケットの中は、黒のシースルーシャツでした。ジャケットも凝っていて、黒なんだれどもハギのセンスの良いジャケットでした。光沢のある部分と紗のかかったような部分がコントラスト良くカッコ良いです。出てくるなり、「解っていたんですけどね、着替えてました」とお茶目にコメント。そして「クリスマスなので、クリスマスソングを一曲」と歌ってくれたのが「きよしこの夜」英語バージョンでしっとりと歌ってくれました。まさにうっとり状態、聞きほれていました。時間がなくなってきて最後の曲。チャリティーの事を話してくれて、最低でも10年は続けたいと、覚悟を披露してくれました。初めて聞く「旅の途中」歌わなかった会場もあると聞いていたので、歌ってくれるか心配でしたが、歌ってくれました。もう、感激です!素敵な曲。明日が楽しみです。この曲が最後なのだけれど、最後のような気がしませんでした。最後のフレーズなのかな?繰り返して歌ってくれて良かったです。
それから、何処の場面だか忘れてしまったけれど、車椅子のファンの人が花束を持って行ったのね。秀樹はその人の花束を受け取り、握手して話し掛けたその人に答えてあげていたの。優しい秀樹をまじかで見れて良かったです。
今回、一番前で、近くで歌が聞けて、私には最高のDS,クリスマスプレゼントでした。秀樹!ありがとう。ホントにホントにありがとう。また、来年会いに行くからね。
☆曲リスト
1.ラブ ミー トゥ ナイト
2.トゥ ヤング
3.イッツ オンリー ペーパー ムーン
4.ストレンジャー・イン・ザ・ナイト
5.恋のバカンス
6.コーヒールンバ
7.雪が降る
8.Jasmine
9.スタンド バイ ミー
10.Y.M.C.A
11.情熱の嵐
12.ギャランドゥ
13.傷だらけのローラ
14.きよしこの夜(英語バージョン)
15.旅の途中~ドイツより愛をこめて~
2001年12月01日の日記より
私は、今物凄く感動しています。
最初に秀樹からチャリティコンサートの事を聴いた時は、上辺だけで、「ああ、また秀樹に逢える!」と言う思いしかありませんでした。しかし、チャリティコンサートの日が近づき、CDの発売間近になり、桑名さんのHPを何気なく訪れて、ビックリしました。それまでの桑名さんのイメージは、アン・ルイスの元旦那、ロックをやってる不思議なおやじ、美勇士君のパパぐらいでした。時折、ヒッパレ!に出ている人としか見ていなかったのですから......それが、障害者福祉の事に力を入れていらっしゃって、HPも頻繁にカキコしている。個人メールも受け付けていて、とても温かな雰囲気が伝わってくるのです。
音楽をやっている人達の交流の場も設けて......もう、今までのイメージは何処へやら、素敵なおじ様に変わってしまいました。それに、私のHPにまで、気軽にカキコしに来て下さったのです。別にお願いをしたわけではなかったのだけれど、ひょっこり来てくださった.....ああ、なんか良いな~~~、それにもまた感動してしまいました。ですから、お礼のメールを出させていただいたのです。そしたら、それにも答えてくれて......ホント良い方です。
でも、私が一番感動したのは、車椅子でのバスケットボールチームを応援し、ご自身も出向いている様子。HPにも車椅子バスケのコーナまで作っている。私は、去年と今年、股関節の手術をして、一時車椅子の生活をしていたことがあります。ですから、車椅子での移動とかの大変さがわかるのです。今はリハビリが進み、もう車椅子にはなりませんが、医者から車椅子の宣告を19の時にされていました。ですから、車椅子にならず、自分の足で歩けること、動けることに感謝しているのです。桑名さんが、そう言うところへ心を配っている、そして、今回のチャリティー。聴けば、ドイツ村で、世界の難民の子供達の支援だと言うではありませんか.....
感動に継ぐ感動なのです。
19の時に車椅子宣言をされて、一時は歩行困難になりながらも、こうして普通に歩ける、だから、今、何かを一緒にしたくてならないのです。前から、障害者福祉には疑問を持っていました。何か出来ることは無いか.....考えていました。自分自身も手帳を貰う身となり、さらに思いは膨らんでいました。そんな時にこの話し。これが感激でなくてなんなのでしょうか?
「日本国際平和村が設立出来るように頑張るぞ!」と言う桑名さんに、微々たる事ですが、応援したいのです。このCD、沢山売れるようにしたいです。支離滅裂ですが、何処までも桑名さんを応援していきたいです。私も、「日本国際平和村が設立出来るように頑張るぞ!」に加えてくださいませね。
2001年11月28日の日記より
秀樹がパパになるよ!やった~~~!
自分のことのように嬉しいよ。うんうん。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
まだ見ぬ 我が子へ
君のふくよかなふくらみ
少し出っ張ったような不思議な空間
神秘を秘めたお腹
その君のお腹に耳を当てる
トックン トックン小さな鼓動が聞える
生命が息づいている音
心地良いね
君の笑顔も温かさと慈愛に満ちて
もうすでに母の顔になっている
女性は不思議だね すぐ母になれる
君のふくよかなふくらみ
すこし出っ張ったような不思議な空間
神秘を秘めたお腹
その君のお腹に手を当てる
ポコポコポコポコ手足をばたつかせ
ここにいるぞ!と主張している
会いたいね
君も嬉しそうに手を当てながら
“ホント早く会いたいわ”とつぶやき
僕に微笑む君はマリア様のよう
2人の願いは1つ この神秘のお腹から
僕達に元気で会いに来てくれること
男の子でも女の子でも どっちでも.....
君の笑顔を見つめながら僕は祈るよ
2001年11月25日の日記より
キャ!
秀樹の書き込み。オフィシャルで秀樹マークを見たのは3回目。
1回目は婚約の時。2回目は結婚式の時。そして、今回。
今までのなかではダントツの短さだけど、秀樹のお茶目さが出ていて良いな~。
こう言う書き込み。もっと、もっと書き込みして欲しいよ。そうすれば、変な荒らしとかも無くなるでしょう。
短くて良いから、1週間に1回ぐらいカキコしてくれると嬉しいよ~。
お願い!秀樹。書き込みしてねv
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あなたの言葉 一言ひとこと
あなたの姿が 見えるようで
心が ほかほかしてきます
もう少し あなたの言葉
聴いていたい 読みたい
多くの言葉は望まないのです
短くて良い あなたの本音
心の言葉を 投げかけて欲しい
あなたの言葉 パワーいっぱい
見えない姿に 映し出す
ときめきの心
もう少し あなたの言葉
私たちに 聴かせてください
ささやかな 幸せが
日々のなかに 灯るから
短くて良い あなたの言葉
聴かせてください
2001年11月22日の日記より
秀樹が、100キャイのコーナーに出た。出たことは嬉しかった。ものすごくね。きゃ~今の等身大の秀樹だわ、って。
でも、.......あれは、入院前の収録でしょう。秀樹辛そうだった。無理しなくても良いのに.....あんなに頑張って、盛り上げ様としてる。そう言う姿を観ていたら、もううるうるしちゃって...そんなに頑張らなくて良いよ。ゆっくりね、ゆっくりねってドキドキしながら観ていました。
2回ともカロリーをしっかり当てられて、食べられた事は嬉しかったし、久しぶりの、ヒデキカンゲキ~!10代20代40台とパターンを表現してくれて、ゲストなのに盛り上げ様としている、そんな秀樹の姿に感動していました。やっぱり、あなたは凄い人です。本当なら、辛くて仕方なかったと思うのに、それを見せまいとして......
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あなたと出会えたこと
神様に感謝いたします
そして
私はあなたについてきて良かった
そう感じます
これからもあなたの歌がある限り
あなたの後を付いて行こうと
また心に刻みました
あなたは自分がどんなに辛くても
回りに笑顔を振り撒く
回りを明るくする
あなた自身が灯火のように
輝こうとする
私は あなたを あなたの姿に
希望を見出せるのです
あなたのお茶目なところ
あなたの頑固なところ
あなたのシャイでピュアな心
あなたの大胆さ
あなたの優しさ
あなたの強さ
あなたの弱さ
あなたの繊細さ
その全てがあなたと言う
人を作っている
その全てが 私の憧れ
あなたと出会えたこと
神様に感謝いたします
2001年11月19日の日記より
あなたの元へ
あなたの元へ飛んで行きたかった
もしも 羽があるのなら
思いきり羽ばたいて
あなたの元へ あなたの
ステージを感じたかった
TVの中の元気な姿
蘇る熱気の渦 歓喜
あなたの手のぬくもり
ブラウン管を通して
あなたの瞳に映る 私
あなたの側で声援を送りたかった
もしも 時を越えられるのなら
瞬間移動 あなたの元へ
同じ空気の中に
ステージと言う光の中で
あなたの元へ飛んで行きたかった
もしも.....
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
倒れた後のコンサートの模様をニュースで見て書いたものです。
2001年11月16日の日記より
西城秀樹さま
貴方の笑顔が私の支えです
貴方の笑顔に逢いたい
ちょっぴりお茶目な貴方の
微笑み
心から笑い周りを明るくする
貴方
その微笑を笑顔を
元気な貴方の姿を
待っています
貴方の笑顔 微笑が
私の一番のお気に入り
貴方が声を出して笑う
つられる私 周り
私を笑わせてください
貴方の笑顔で
貴方の歌を歌は私の勇気
激しく歌う姿は 高揚
囁く歌は心を軋ませる
情熱的な歌は 感涙の涙
貴方の笑顔は 私の支え
貴方の歌う歌は私の勇気
貴方のその笑顔と歌を......
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
秀樹が2001年に倒れた時に書いたものです。
2001年11月02日の日記より
秀樹の歌はヒーリング
また、残業続きの日々です。今日は、午前様でした。夕飯がちゃんとした時間に食べられないので、家に帰ってから食べてます。
すぐに寝ることが出来ないので、結局こんな時間です。疲れていますが、会社への行き帰り、秀樹の歌を聴きながら心を落ち着かせています。
私に取っての薬は、何より秀樹の歌です。寝るときも、秀樹の歌を聴きながら眠りに付きます。今も聞きながらカキコしています。
会社で嫌なことがあっても、疲れても、秀樹の歌は心を癒してくれるヒーリングです。では、そろそろ寝ます。
秀樹!おやすみなさい。
また、残業続きの日々です。今日は、午前様でした。夕飯がちゃんとした時間に食べられないので、家に帰ってから食べてます。
すぐに寝ることが出来ないので、結局こんな時間です。疲れていますが、会社への行き帰り、秀樹の歌を聴きながら心を落ち着かせています。
私に取っての薬は、何より秀樹の歌です。寝るときも、秀樹の歌を聴きながら眠りに付きます。今も聞きながらカキコしています。
会社で嫌なことがあっても、疲れても、秀樹の歌は心を癒してくれるヒーリングです。では、そろそろ寝ます。
秀樹!おやすみなさい。
2001年10月31日の日記より
やっとビデオを見ました。
「枯葉」あまりにも有名なスタンダードです。
渋いですね。早く生で聴きたいです。DSが待ち遠しくてなりません。
秀樹のささやくように歌う部分がたまらなく好きなんです。
ぽわ~んとしながらDSは居るんでしょうねぇ。きっと私。
良い歳の重ね方を来てきたと思う秀樹、渋く、人生を感じさせる歌を
歌っているように思います。深みのある歌が早く聴きたいです。
今週も、歌ってくれるのかな?青春のポップス楽しみで~す。