大園継基(おおぞのひでき)のショーミのハナシ


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私の人生服服福!回遊魚!

2019年はパリ出張もあり、充実した年でしたが、

2020年、パンデミックで世界中が変わってしました!

パニック映画の1シーンのような予測不能な展開に、

疑心暗鬼になり、何も信じられなくなりました。

 

これからも服を作る事ができるんでしょうか?

服を作っても、買ってくれるんでしょうか?

心にハリがなくなり、真剣に廃業も考えました。

 

待て待て、冷静になれ!

行動も思考も止めたらあかん!

動き続けなあかん・・・回遊魚みたいに!

動いてりゃ、進歩もすれば、失敗もする。

それが生きてる証拠や!

止まってしもたら、心が死んでまうねんて!

一番どん底の時は、心が死んどった。

もうそんなん嫌やねん!

 

だから、泳ぎ続けよう!

 

自分にそう言い聞かせて、踏ん張りました!

この時も、家族や周りの方々が応援してくれたから

耐えられたと思います!

 

収束後、世の中の価値観が変わってしまいましたが、

ボクの中で変わらない価値観があリます。

 

良いモノは良い!

品質にゴールはない!

 

トレンドは数年毎に変わっていきますが、

品質にトレンドはなく、時代に左右される事もない。

 

だから、品質向上の努力をやめたら、

ボクの存在価値がなくなるんちゃうかなぁ!

 

何歳まで続けられるか分かりませんが、やれるとこまで

めいっぱいやろう!そして少しでも着心地が良くなるよう創意工夫して、たくさんの人に楽しんでもらおう!

 

何度考えても、服が、ファッションが好きなんです!

大袈裟ですが、今まで仕事が嫌やと思ったことがなく、

毎日、趣味を満喫するかのように過ごして40年!

 

ホンマ、感謝しかないです!

これからも、大好きな服を丁寧に作ろう!

 

 

そして、丁寧に生きよう・・・!

 

 

完!  

 

 

大園継基

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の人生服服福!なんじゃこりゃ! 



2012年から続いたテレビ出演で、調子に乗ることもなく
OZONOブランドを確立するため、真面目に愚直に取り組み続け
数年が経ちました。

貧乏ながらも忙しく、猫の手も借りたい時期に息子(24歳)が入社。

SNSやパソコンが得意な息子のお陰で、ユーチューブも始めました。

さらにありがたいのが、アパレルメーカーで販売経験があり
お店を任せられることです。これで、モノづくりだけに
集中することができるようになりました。

新しい体制になって数年が経ち、心身ともに少し余裕が
生まれました。そんな時に、ふと思ったんです・・・
昔は1年に1度は、パリとニューヨークへ行っていましたが
人生最大の失敗以降、10年以上全く海外に行けてないなぁ・・・と!

そもそも海外に行くことは本当に必要なのか・・・?
そんな事を振り返って考えました。

最初は、岡山での修行時代に、ヴィンテージデニム買付のため
訪れたアメリカで、様々な人種や文化、デニムウエアのルーツを
感じられたことが服作りの基になりました。

そして、ヨウジヤマモト社とのお仕事をきっかけに
パリコレをメインにヨーロッパを訪れるようになり
長い歴史と伝統に触れ合うことで、地域や環境によって洋服の素材やデザインが

違うことを実感し本来そのアイテムはどう着るのか?

どうアレンジすればかっこ良いのか!?
深く考えるようになりました。

行く度に、新しい発見と感動があり、旅は服作りに欠かせない
栄養!そう思うと、無性に海外に行きたくなってきました!笑
海外ホームステイの経験がある息子を連れていけば
通訳してもらえるしヨーロッパ未経験の息子にも
良い刺激になるかも!

資金的にはカッツカツですが、OZONO進化のためにも
行くべきと判断しました。行くからにはもちろん
ヨウジヤマモト パリコレクション見学のお願いをしました。

2019年2月末出発!前年から続く黄色いベスト運動(デモ)が
断続的に続き終息に至っていません!どうなる事やら・・・

パリに着いて、まずは近くを散策!頻繁に来ていた頃と違い
中心部のホテルでないせいか、何となく活気がないというか
さびれてるというか・・・ボクの感じ方が変わったのか・・・?

次の日、街全体が蚤の市、クリニャンクールに行くことに!
ヴィンテージ、アンティーク、とにかく宝の山なんで昔から
大好きな街にわくわくドキドキが止まりません!

着いた瞬間、目の前に広がる景色に絶句しました・・・!

なっ・・・なんじゃこりゃっ!!

見渡す限り、移民・移民・移民!

どう見ても、ネイティブなフランス人じゃない人の露店だらけで
売っているのも有名メーカーのスニーカーやらジャージやら・・・
でも、よく見るとマークが雑やったり、そんなデザイン
あったっけ?ってものばっかりで、ボクが知ってる街では
無くなってました。

今回強く感じたのは、ネイティブな人たちがひっそりと大人しく
移民が元気やなぁと、そして、街が汚くなったとも思いました。
・・・元々、キレイとは言えなかったのですが!笑

とにかく街の中心部に進んでいくと、ありました!
昔ながらのアンティークショップや、見覚えのある街並みが!
売ってるモノも、ちゃんとした年代物と思わしきモノばかりで、一安心。

アンティークのボタン、ビーズなど小物をほぼ1日かけ物色し
世界最大級の蚤の市を堪能しました。

そして、ヨウジヤマモト・ファムコレクション!
久しぶりに見せていただきましたが、やっぱり凄い迫力です!
いつもの黒を基調にした洋服やのに、なぜか新鮮で斬新な表現力で魅了される・・・

やっぱり、唯一無二のブランド力!

継続とは、ただ続けることではなく、進化し続ける事や!
と痛感しました。ボクもまだまだ枯れたらあかんと
気持ちが引き締まりました。

あとは、ルーブルや、ピカソ、オランジュリーと、美術館を巡り
高級ではないけど、美味しいフランス料理とワインを満喫!
充実したパリ出張になりました!

とにかく海外に行ったら、できるだけ自分の足で歩いていろんなことを感じ取りたい

ボクは、今回も4日間で88,000歩(60k m)歩いてました・・・笑

そうそう、息子の足が靴擦れで歩けなくなり
途中でスニーカーを買って履き替えた事は、彼にとって
1番の思い出かも・・・汗!

追伸、ボクらが帰国した次の週、シャンゼリゼ通りのカフェが
   放火され、一月後ノートルダム寺院が火事に・・・
   今回も訪れた大好きな場所なんで、ショックでした!


このころのファッションは、色々とマイブームがあり、
例えば、ワークジャケット(品名アルダー)の派生系で
着丈をヒザ上まで伸ばしたいわゆるショップコートを作ったり
ジャケット似合うような少しドレスっぽいベストを作ったりと
デニムカジュアルにすればキレイめなアイテムを作っては
着こなしを模索する・・・そんな感じでファッションを楽しんでました!




次回、回遊魚!

つづく

大園継基

 

私の人生服服福!ことだま! 

2012年4月、LIFE〜夢のカタチ〜の放送を見て

 

「良いモノを作るためには、手間ひま惜しまず愚直に取り組む!」

 

と言ってる自分に、感動しました!・・・笑

しかし、手間ひま惜しまずやっていては

日産目標(1人)5本は、全くできません!

 

取材で出た言葉は、目標と現実との矛盾に苦しむ中

無意識のうちに出た答え・・・!?

そもそもOZONOは、量産システムに疑問を感じて

始めたブランド。これが正しい方向やと確信しました!

 

取材終了後、ディレクターさんから頂いた言葉は

ボクにとって金言でした。

 

「テレビに出たからと言って、一気に手を広げず

コツコツと変わらぬ努力を続けてください!」と!

 

昔、調子に乗って、えらい事になったボクには

しっかりと響ました!ありがとうございました。

 

その後、立て続けに十数本のテレビ取材を受けさせていただきましたが

その度に「良いモノを作るためには、手間ひま惜しまず愚直に取り組む!」

と言い続けているうちに日産がほぼ1本に・・・汗!

 

これぞ、言霊!

 

早く縫うことよりも、どうやったら強度が上がり

穿き心地も良くなるか?糸の太さは最適か?

とにかく閃いては試し、納得出来ないところはさらに工夫する・・・

それが当たり前になっていったんです。

 

どうせなら、誰もできないレベルまで

徹底的に作り込んで、近い将来ボクがいなくなった後

後世の人が見ても「すごい、真似できない!」と

思ってもらえるモノづくりをすることが

ボクの使命なんやと思うようになりました。

 

テレビの反響は、一瞬だけ!

 

そう思っていたのですが、1本のテレビの反響が収まり

暇になってくると、次の取材のご依頼でまた忙しく・・・

極めつけは、2012年9月放送の日テレ系列

「未来シアター」に出させていただいたときは

流石に全国放送で、遠方から飛行機や新幹線

夜行バスで来てくださる方までいらっしゃいました。

 

何じゃかんじゃで3年ほど、忙しくさせていただきました。

・・・とはいえ、最長40日の納期を頂かないと捌けないくらい

忙しかった時期もありましたが、日産は2人で2本ですから・・・

 

貧乏暇なし!

 

まだまだ金銭的プレッシャーは続きますね・・・泣!

 

このころのファッションは、少しづつ上達した

自社縫製の上下がほとんどで、Tシャツやニット以外は

他社製品をあまり着なくなりました。

 

 

次回、なんじゃこりゃ!

 

つづく

 

大園継基

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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