渋谷のHMVが閉店ということで、最後の日にこっそりお別れに行ってきました。個人的にはミュージシャンとしても、リスナーとしても本当にお世話になったお店でした。旧店舗から含めると、どのくらいここでCDを買ったのか、考えると遠い目になります。
最後の日もイベントなどが盛りだくさんで、お店の前では写真撮影をする人や、報道のカメラなどもたくさん。閉店の日に記念撮影をされるレコード店なんて、聞いた事がありません。そのくらいみんなにとって思い出深い場所だったんでしょう。残念ですが、CDの時代が確実に終わりつつあることを実感する日でした。

お店の中を一回りして、慣れ親しんだ三階のフロアで買い物をして帰ったんですが、全く現実感がないというか、感慨が起きなかったというのが正直なところ。
僕がデビューしたころはちょうど外資系のレコード店を中心に「渋谷系」と呼ばれるムーブメントが起こっていたころで、ちょっとマニアックなレコードを沢山知っていることがひとつのステイタスにさえなっていたような気がします。みんながHMVやタワーに通って話題のレコードを探したり、バイヤーさんのポップカードなどを読んだりして、情報交換も活発でした。
その頃の空気はよく覚えています。何か「熱」のようなものが、フロア一体を包んでいました。

そんなムーブメントが起こる前から、欲しいレコードを探しては西新宿あたりをいつもうろうろしていた僕は、はっきり言って渋谷のオシャレさやカッコ良さとは無縁と言っても良い感じだったと思いますが、西新宿の怪しいビルの中にある、怪しいものを専門に扱っているお店や、老舗の中古盤専門店、六本木にあったWAVEなどの大型店も含め、そのころのレコード屋さんにはみんな根底のどこかに同じ「匂い」と「熱」のようなものがあったような気がします。


伊藤銀次さんが「週刊銀次」という日記の中で、何度も夢に出て来るレコード屋さんの話をしています。(以下引用)

「昔からよく夢の中にでてくるレコード屋さんがある。
実家の近くの駅から電車で4つぐらい行った駅の、駅前の商店街を入って行くと、公設市場があり、その一番奥にある小さな店だ。
店の名前もなく、狭い間口に所狭しと壁いっぱいに、そしてダンボール箱にもたくさんの洋楽のレコード盤がおいてある。
どれも見たことも聞いたこともないアーティストやグループばかりで、
わおーっと狂喜乱舞しているうちにいつも目が覚めてしまうのである。
起きているときに(?)一度確認をしに、その駅まで行ったことがあるけれど、商店街も市場も、もちろんレコード屋さんもなかった。
現実に存在しないのだが、何度も夢の中にでてくるので、僕の中では半ば実在するに等しいお店になっている。
最近その夢見なくなったなあ。またあの夢の中のあのレコード屋さんに行きたいものだ。」



僕にはこの夢の感じがよくわかります。見た事もないカッコいいジャケットや、聴いた事のないレコードに「わおーっ」とする気持ち。僕にとってレコード屋さんは、そんな宝物が埋まっているかもしれない、魅惑の場所でした。

でも、その「匂い」を、昨日の僕はもはや感じる事が出来なくなっていました。棚に並んでいるものがいつの間にか、探せばどこでも手に入る「商品」に変わってしまい、お店の中で買い物をしているお客さんにも、そういう「熱」をあんまり感じない。そして、それがいつからなのか自分でもはっきりわからないのです。

お店がなくなる淋しさもさることながら、そんな自分自身にちょっと悲しくなってしまった日でした。

古いタイプの価値観に縛られている人間の懐古趣味かもしれないけど、銀次さんの夢の中に出てくるレコード屋さんような場所が、どこかにあったらいいなあと思います。