ゴールデンウィークが始まったようですが、ひたすらmacの画面に向かってます。向かいすぎて右手から背中のへんなとこが痛い。。。

伊藤銀次さんとの楽曲制作もどんどん深いところまで来て、今は歌詞についてのディスカッションを繰り返しているところ。メロディー同様に、あらためて詩というものの深さを思い知らされています。
60年代のアメリカンポップスを翻訳して歌謡曲に置き換えた時代にまでさかのぼり、ニューミュージックからJ-Rock、J-Popまで行ったかと思えば童謡にまで波及する銀次さんの膨大な知識のアーカイブと解釈は、それだけでもひとつのコンテンツになるはずです。こんなに面白い話を僕が独り占めしているのは実にもったいない。

そんなこともあり、この先僕たちのような人間が何を、どんな形で発信していくべきかを真剣に考えなくてはいけないなあ、と思っています。音楽には、耳に聴こえてくるものだけではない、音の向こう側があるのです。それに気がついてしまった途端、今まで何気なく聴いていた音楽が僕たちの人生を変えるほどのインパクトを持ったりするのです。

パソコンの画面を眺め続けていると、昨今の音楽業界の悲壮なまでの低迷っぷりを斜めに見ながら、既存の縛りから解かれた音楽人たちからはいろいろな新しい発想や試みが生まれていることを実感します。これからやってくる新しいうねりのようなものに、なにかわくわくする魅力を感じます。
そんな思いを巡らせていたら、以前、音楽評論家の萩原健太さんがL⇔Rのライナーノーツに寄せて頂いた言葉を思い出しました。とことんまで縮んで、反対側にはじける「背中合わせ感覚」それこそがPOPであり、ROCKなんじゃないかと。

その初期衝動に戻るためには、僕も精一杯ぜんまいのねじを巻かなくてはいけません。ねじを巻いたり、バネを縮めたりする作業は地道で一見後戻りのように思えるけれど、それが放たれた時には必ず力が発揮されるはず。ギリギリとねじまき中です。


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